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藤巻亮太さんが作家・辻村深月さんと山梨同級生対談(前編) 狙ってないから名作が生まれる

辻村深月さん(左)と藤巻亮太さん

中学生の心が書ける理由

藤巻亮太(以下、藤巻):お会いするのは、辻村さんが原作の映画「太陽の坐る場所」が映画化した2014年以来ですかね。僕が楽曲を作らせていただいて、その縁で対談させてもらったら、同級生で同郷で、しかも隣町出身だったっていう。

辻村深月(以下、辻村):お互いに40代になりましたね。自分が40代になる日が来るなんて。

藤巻:『はじめての』と『かがみの孤城』を読ませていただいたんですが、どちらも中学生たちが主人公で、なんでこんなに中学生の気持ちだとか、心の動きだとかが書けるんだろうなって。改めて、本当にすごいと思ったんです。

辻村:ありがとうございます。中学生の読者から「何でこんなに僕たちの気持ちがわかるんですか」とか、「今の子たちに取材をしているんですか」と聞かれることがあるんですけれど、そう聞かれると実は寂しい部分もあって。私も昔中学生だったのに、10代の子どもたちからすると大人に見えてるんだなぁと考えると、不思議な感じなんですよね。でもかつては中学生だったんですよ!

藤巻:そうなんですよね。大人になると過去が大量になってくるから、経験値がすごく上がってきて、経験で語りたくなるじゃないですか。でも子どもってもっともっと生々しくて、過去なんか生きてない、今を未来に向かって生きてるから、過去の匂いがするものには敏感に気付く。そういう意味で、辻村さんは生々しく動いているものを捉えていて、未来に向かって生きているような感覚がずっとおありになるのかな、と思って。

辻村:子どものことが書けるのは、子どもがいるからじゃない? って言われることがあるんですけど、そこは別物みたいな感覚で、あまりしっくりこなくて。自分の子ども時代を渡してない感じが、ずっと続いている気がします。

藤巻:渡してないというと?

辻村:下の世代にまだ譲っていないっていうか。私は自分の中の子どもの感覚でまだ書いているんですよね。いろんな書き方の作家さんがいると思うんですけど、『はじめての』を書いてる時も『かがみの孤城』を書いてる時も、中学の教室に戻って書いている感覚なんです。子どもはこう書けば子どもらしいというような、俯瞰は絶対にしてなくて。

藤巻:『はじめての』の登場人物は主に2人で、『かがみの孤城』は群像劇なんですけど、感覚としてはそれぞれの登場人物ごとにその人になりきって書くんですか?

辻村:そうですね、憑依型と呼ばれる書き方をしていると思います。1人ずつ書いていて、「もうこの人のこと嫌いだな」って思ってる時にはその人を本気で嫌いなんです。だけどいざ別の視点を取ると、「あー、もうすごい好きだ」ってなったり。登場人物が会話を重ねる中で相手のことを好きになると私も好きになっていく、っていう書き方が続いています。

テーマを与えられた方が燃える?

藤巻:『はじめての』は4人の直木賞作家に「はじめての○○」というお題を出して書いてもらっているという一冊なんですが、「家出」をテーマにしたのは辻村さん自身なんですか?

辻村:そうですね。作家さんの並びを見た時に、私に振られてるのはきっと暗黒面担当だ、って思って、負のイメージの「はじめて」がいいと思って(笑)。

藤巻:シンプルに聞きたいんですけど、今回のようにテーマをもらって書き始めるものと、本当にゼロから作り上げていくものって、やっぱり違いますか?

辻村:藤巻さんもいろんなお題とか、誰かと何かの企画をすることがたくさんあると思うんですけど、お題をもらえた方が燃えたりしませんか?

藤巻:それ、昔からですか?

辻村:昔から割と。20代の頃はテーマを与えられた中で、ほかを制圧して一番おもしろいものを書いてやる!って思ってたんです。でも今はもう思えない(笑)。

藤巻:へー、どうして?

辻村:若い時はそうやって、誰かが読んだ時に一番心に残るものを、って思えたんですけど、40代になってくると、競うというより楽しもうという方が強くなって。全体で見た時に、自分は戦隊でいうと何色になりたいんだろう、みたいなことを考えて。(リーダーの)レッドを目指すことはあまりしなくなりました。

藤巻:やっぱ、20代はレッドを目指しますよね(笑)。

辻村:20代のがむしゃらにレッドを目指してた時の自分のことも大好きだし、嫌いじゃないんですけど、今は全体をプロデューサーみたいな目線で見られるようになった部分もあるし、「レッドだけが人に刺さるわけじゃない」ってことも分かるようになってきたんですよね。全員が100点をつけてくれないかもしれないけど、この話を必要とする人が出会った時に120点つけたくなるような響き方って確実にある。

今回は、その出会いの前と後で人生が変わるような、そういう感じのことが書けたらなぁと思って書いた短編なんです。その一夜が自分にとって特別だったとか、出会いが特別だったとかって、渦中にいる時は意外と分からないものだと思うんです。だけど、数年経った時に「あそこがターニングポイントだったな」「あの夜があったからよかった」って思えたりするものじゃないかと。それが人との出会いじゃなかったとしても、あの曲に出会ったからとか、あの人に憧れたからとか、振り返れば運命だった、っていうことがきっとある。だからこんな形の話になったんだろうなぁ、と。

創作には逆算がない

藤巻:今おっしゃったことってすごく分かりやすくって、本当にそうだなって思うんですよ。でも書き始める時って、そういうものを書きたいなと思って書き始めます?

辻村:あ、思わないです(笑)。

藤巻:ね! そこがむずかしいんですよ。(創作には)逆算がないじゃないですか。

辻村:そうなんですよ。これを先に知ってればもっと楽に書けたのに、って毎回思う。

藤巻:書き終えてみるとそういうことだったんだな、って分かるんですけど、その実感から始まることってなかなかむずかしいですよね。どんなテーマで作るかとか、どんな作品になるかっていうのが分かってて作ることってなくって、作りながら気づいていくとか、テーマを掘っていくとか。それで、作り終えた時に自分が気づかされることの方が圧倒的に多くて。

辻村:だから名曲になるんですよ。小説も、テーマとか狙いありきでやると失敗しちゃうんだろうな、と思って。

藤巻:だから僕がこの歳になって一番きついなと思うのは、構造が分かってくること。

辻村:分かります、それも。

藤巻:理屈が分かってくると、みずみずしい部分が絶対減っていくはずなんですよ。

辻村:ほかの人の小説を読んでても、こういう構造でこうなって、って設計図が見える時があるんです。そうすると自分にもそれを応用しそうになりますし。だから最初から設計図が見えていて、設計図ありきで書く方もいっぱいいるとは思うんですけど、自分はそういうタイプじゃない方がいいのかな、と思っています。

藤巻:途中まで行って、「ああこれもうだめだ、書ききれない」ってなった小説はあるんですか?

辻村:『かがみの孤城』も、最初からすべての設定ができていたわけじゃないんですよ。城がどういうものかとか、私も気づいてなくて。

藤巻:分かった時にめちゃハッとしますからね。鳥肌立ちますよね。

辻村:ありがとうございます(笑)。作中で5月に始まって3月に終わる小説なんですけど、私の中で(登場人物の)それぞれの背景や城の秘密に気づけたのは「夏休み」くらいだった。それがなかったら収拾がつかなかった小説だと思います。

藤巻:すごいですよね。僕、辻村さんが脚本を書いたドラえもんの映画も観させていただいたんですが、理屈や構造を見事に人間関係に落とし込んでいきますよね。

辻村:たまたまできる、っていう感じになるので、いつもそれが起きなかったらどうしよう、って不安なんですよね。でも今までもどうにかなったし、って気持ちで飛び込んでいく感じ。長編と短編の書き方の違いを泳ぎにたとえると、短編は何となく岸は見えてるから、そこまでどういうタイムでどう泳ぐかを考えることができるんです。でも長編は岸から入る海でもなくって、どっかにヘリとかで連れて行かれて、いきなり下ろされて、どっちを向いてもどこが最短ルートなのかも分からない。

藤巻:めちゃめちゃ怖いですね。

辻村:そうなんですよ。だからたまに岸が見えてくると、見えた! ってなる。

藤巻:その例えでいったら、ボツってる曲ってたくさんあって。

辻村: あー、もったいない!

藤巻:そんなこともなくて、やっぱり縁がないんですよね。書き始めたけど、どこに行くか分からない、ってことはあるんですか? 書き始めたら岸を探すんですか?

辻村:どんな形でも終わらせる、っていう。

藤巻:肺活量がつきますね。泳ぎきる筋肉も(笑)。

>藤巻さんの曲作りの悩み、辻村さんの創作のモチベーションとは? 続きはこちら