1. HOME
  2. コラム
  3. 朝宮運河のホラーワールド渉猟
  4. 次世代を担う新鋭作家の魅力的挑戦 ホラーの“新しい波”を感じる3冊

次世代を担う新鋭作家の魅力的挑戦 ホラーの“新しい波”を感じる3冊

タイムループを本格ホラーに

 2020年に民俗学系ホラー『ナキメサマ』でデビューした阿泉来堂は、今もっとも勢いのある新世代作家のひとりだろう。今月発売された新作『邪宗館の惨劇』(角川ホラー文庫)も、著者のエンタメホラー魂が注ぎ込まれた快作に仕上がっている。

 旭川近郊の温泉街で起きた火災事故から1年。親友を失った天田耕平はバスで慰霊祭に向かっていたが、大雨でタイヤがスリップ。乗り合わせていた人々とともに、近くの廃墟で一夜を過ごすことになる。新興宗教団体の施設だったその廃墟では、かつて大勢の信者がお互いに殺し合うという凄惨な事件が起きていた。

 その夜、参加者が何者かによって次々と殺され、恐怖に駆られた耕平は化け物を目撃して、気を失う。ところが目を覚ますと彼は、再び慰霊祭に向かうバスの車内にいた。時間が戻っているのだ。以来、耕平は廃墟での恐ろしい夜をくり返し経験することになる。そう、この作品は映画「恋はデジャ・ブ」「ハッピー・デス・デイ」などでおなじみの「タイムループもの」のアイデアを取り入れたホラー小説なのだ。

 一行の中でタイムループの事実に気づいているのは耕平ただ一人。彼は懸命に悲劇を防ごうとするのだが、恐怖の夜は無慈悲に反復される。この場所では何が起こっているのか? やがて『ナキメサマ』以来おなじみの探偵役・那々木の登場によって、意外な真相が明らかになる。

 怪異が那々木の論理によって解かれていく後半の展開は、ミステリーとしても読み応え十分だが、最後まで「怖い話」という軸がぶれないのが頼もしい。タイムループものもこう料理すれば本格ホラーになるのか、と膝を打った。那々木シリーズのひとつの売りである、ホラー映画的なクリーチャー描写も健在。クライマックスで耕平たちに襲いかかる化け物のおぞましさといったらない。不穏なプロローグから衝撃のエピローグまでどこを切っても美味しいホラー長編だ。

怪談とミステリーとクトゥルー神話が融合

 『赤虫村の怪談』(東京創元社)は、本格ミステリーと怪談実話を融合させた野心的なデビュー作『影踏亭の怪談』で注目された大島清昭の初長編。

 怪談作家の呻木叫子は、かねて関心を抱いていた愛媛県の山村・赤虫村まで取材旅行に出かける。その村では黄色い雨合羽を着て嵐を呼ぶ蓮太(はすた)、廃寺に現れる無有(ないある)などの妖怪譚が、現代でも実話として語られていた。やがて苦取(くとる)という謎の神を祀る旧家の老人が、神木の上で他殺死体となって発見される。それはまるで妖怪・位高坊主(いだかぼうず)に連れ去られたかのようだった。その後も村では奇怪な殺人が相次ぐ。

 と、あらすじを紹介するといかにも横溝正史的な土俗ミステリーだが、赤虫村はよくある閉鎖的な集落ではない。作中に登場する曰くありげな固有名詞は、ほぼすべて「クトゥルー神話」(アメリカの作家H・P・ラヴクラフトらの作品を原典とする架空の神話大系)に由来しているからだ。蓮太は「黄衣の王」などの小説で言及される邪神ハスター、無有は千の顔を持つナイアルラトホテップ、そして舞台の赤虫村はラヴクラフト作品に登場する町アーカムのもじりだろう。

 日本の山村でひっそり崇拝されているクトゥルーの神々。怪奇小説好きなら誰しも一度は妄想するそんな胸躍る光景を、著者は民俗資料などを多数引用することでリアルに描き出してみせた。その結果生まれたのは、怪談とミステリーとクトゥルー神話が混在する奇怪な世界観。合理と非合理がマーブル模様を描くかのような、唯一無二のホラーミステリーである。

読者の現実を侵食するネット怪談

 映像の分野ではドキュメンタリーに見せかけて作られた劇映画のことを「フェイクドキュメンタリー」「モキュメンタリー」などと呼ぶ。梨『かわいそ笑』(イースト・プレス)はまさにこの手法で書かれた連作怪談集だ。著者自身が語り手を務めるリアルな筆致に、思わず小説であることを忘れて引き込まれる。

 全5章からなるこの作品は、ライターである著者が収集した怪異体験談やインターネット掲示板の書き込み、匿名のメールデータ、ネット上に発表された小説などの断片から構成されている。これらの文章は一見何のつながりもないのだが、丹念に読み解いていくとある女性にまつわる不気味なエピソードが浮かび上がる、という仕掛けになっている。

 こうした手法以上に感心させられたのは、各エピソードの怖さである。たとえば第1章で紹介されているある女性の体験談。ネットで親しくなった同人誌仲間の家に遊びにいった体験者は、コピー機に挟まった白い紙に目を留める。その直後、ドアの向こうから物音がして……。暗示を巧みに用いた生々しい怪談の数々には、この手の作品を読み慣れている人もぞっとさせられるはずだ。

 一般ユーザーとアンダーグラウンドな世界との距離が近かった、インターネット黎明期を舞台にしているのも効果的だ。モニターの向こうに広がる深い闇が、時間を超えて読み手の側までじわじわと染み出してくるような手触りが恐ろしい。これが実話だとは決して思いたくはないので、あえて「小説」と割り切って紹介した。三津田信三や芦花公園などによって切り拓かれてきた、フェイク系ホラーの新たな収穫といえる。