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宇野碧さんが伴侶選びの試金石と考えるオノ・ヨーコの「ただの私」

『ただの私』(講談社文庫)

「中学2年生のときからフェミニストでした」
 あるオンラインイベントで社会学者の上野千鶴子さんに質問する機会があったときにそう言うと、「ずいぶん早熟だったのね」と言われた。

 ローティーンのうちにフェミニズムと出会えたことは人生でもっとも幸運だったことのひとつだと思っている。
 中学2年生の私をフェミニズムに出会わせてくれたのは、オノ・ヨーコの著書『ただの私』だった。

 読んだきっかけは、何かの音楽雑誌のインタビューでミュージシャンの氷室京介が「面白かった」と言っていたのを見たことで、特に氷室京介のファンでもないのにどうして読んでみようと思ったのかは謎だが、人でも本でも巡り合わせというものは、往々にしてそういった合理的に説明できない経路で起こるような気がしている。

 オノ・ヨーコさんはおそらく、日本人女性としては世界でもっとも名前を知られている人のひとりだろう。

 ビートルズのジョン・レノンのパートナーという面ばかり知られているが、1950年代の保守的な時代に、身ひとつでアメリカ・ヨーロッパに渡り、現代の感覚から見てもとてつもなく先鋭的な活動をしていたアーティストだった。
 彼女の軌跡を見ると、今の時点で尖っているとか、ラディカルだとか革新的だと言われているような考え方や行動なんて、実は大昔に誰かがすでにやっていることなんだろうな、オルタナティブは常に古いのかもしれないと思わされる。

「私は美人だ」という一文から始まる『ただの私』は、刺激的な自伝でもあり、強烈な自己啓発本でもあり、とても論理的な社会論でもあり、オノ・ヨーコさんの何者にも歪められない自己というもののライブペインティングのような本でもある。

 とりわけ、男女を逆転させるミラーリングの手法で日本社会を描写した文章などは、60年も前にこれを真正面から書いた勇気に思わず息を呑んでしまう(といっても、現代であっても性被害の告発にすら人生を賭けるほどの勇気を必要とするような状況を見ると、呑んだ息が詰まる思いになる)。

 読み終わった13歳の私は衝撃で居ても立ってもいられず、とりあえず宿題の「1日1ページ自習するノート」に感想を書き連ねた。
 ちなみに、自習ノートには毎日映画や本の感想、日々感じたこと、スイミングスクールの先生の似顔絵などを書いていた。

 フェミニズムというものは男女関わらずこの社会を生きていく上で必須の基礎教養であり、自分自身を構造の犠牲者にしないためのライフハックのスキルだというのが、『ただの私』との出会いから26年を経た私の実感だ。

 ……ただ、少女マンガの愛読者でもあった中学2年生当時の私の理解は、
「フェミニストであれば、ジョン・レノンのような才能があってクレバーな、世界的ないい男が寄ってくるらしい」というものだった。

 だいぶバカっぽいけれど、こちらも間違ってはいないと26年の間に実感した。

『ただの私』には、便利なリトマス紙機能もある。
 中立的な知性があるかどうか、物事をフラットに見る胆力がある男性かどうかが、本を読んだ反応から分かってしまう。そもそも、試験放棄(読まない)という場合もある。

 結婚を考えている彼氏に読んでもらうといいかもしれない。

 中学2年生のときの自習ノートに書かれた担任からのコメントは「妻の本棚にありました。私は読んでないけど妻は読んだのかなあ」で、大学生のときに本を貸した男性の先輩の感想は「そんなに男が嫌いならレズビアンになりゃいいじゃん、て思った」だった。

 そういう感想を持つ男性とパートナーシップを結んだり結婚したりすると、溝を埋めるための労力が膨大になったり、話の通じなさに絶望する局面が多くなるかもしれないけれど、本人にそう言ったところで無駄だし、人にはスムーズでない道を選ぶ自由もある。

 それも、中学2年生からの年月で実感したことである。