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分断時代の民主主義 対立のルール・前提、再考の時 法政大学教授・犬塚元

米連邦議会議事堂襲撃事件で集まったトランプ大統領(当時)支持者たち=2021年1月6日

 分断や分極化は、民主政治では不可避か。憎悪や軽蔑を互いに向ける対立は、政治的自由につきまとう害悪なのか。4冊の新刊書を通じて考えたい。
 ブレナン『アゲインスト・デモクラシー』は、これらの問いにイエスと答えて、そんな民主政治に代わる政治制度を大真面目に提案する。制限選挙制や複数投票制に基づく、エピストクラシー(知者による支配)だ。

 政治制度はあくまで手段だから、どんな結果を生むかによって評価を下す。そんな著者の目には、民主政治は問題が多い。調査によれば、政治参加や熟議は、合意や和解を生むどころかむしろ対立を激化させている。
 しかも、有権者の多くは、無知で非合理的だ。アメリカ人の40%は、第2次世界大戦でどこと戦ったかも知らない。選挙権は「他者に対する権力」だから、こうした人たちが行使するのは正当化できないというのだ。
 データを武器に、古代からAI政治論まで続く民主主義批判に加わる挑発的な一冊だ。若い研究者たちの解説が、本の強みと弱みを吟味するのに役立つ。

制度設計が重要

 好対照なのが、ミュラー『民主主義のルールと精神』だ。ブレナンが、手段としての善しあしに着目して民主政治を批判したのに対し、ミュラーは、民主政治の内在的価値を重視する。他の政治体制のほうがパフォーマンスに優れようと、それだけでは、平等の感覚と結びついた民主政治は打ち負かされない。さらに有権者が無知で非合理的であろうと、支障ないという。重要なのは制度設計だからだ。
 分断をめぐっても、ミュラーの答えは異なる。

 対立や多様性は、民主政治の創造性やダイナミズムと不可分だから、分断自体が悪いわけではない。しかし、競争相手に対する敬意を欠き、その地位まで否認するのは、自由と平等を原点とする民主政治自体を損ねるがゆえ、許容できない。自分たちだけが「真の人民」であると称し、相手を「二級市民」「外国勢力の手先」と貶(おとし)めるポピュリストへの批判だ。この指摘を日本の政治に適用すれば、「反日」「嫌なら出ていけ」等(など)の言辞は、民主政治を損ねると言えよう。
 一方で、対立や多様性の意義を擁護しながら、他方では、民主政治そのものを守るために、対立を共通ルールの枠内に収める。この二正面作戦のもと、「民主主義のインフラ」の再建をめざす本だ。民主政治の破壊者にも政治的自由を認めるべきなのか。このテーマをめぐっては山崎望編『民主主義に未来はあるのか?』(法政大学出版局・3520円)でも、大竹弘二が「民主主義防衛の二重戦略」として、山本圭が敵対性の「制度化」として、問題を提起している。

冷戦終結の教訓

 ドイツ外交史の成果である板橋拓己『分断の克服 1989―1990』も示唆に富む。18年にわたって外相を務めたゲンシャーがドイツ統一の過程で果たした役割を、新しい史料に基づいて再評価した本だ。ここでゲンシャーは、ドイツやヨーロッパの東西分断を前に、「一方の側の勝利、他方の側の敗北に終わらぬよう、いかにして冷戦と分断を克服するかを模索」した政治家だ。だが、その和解のビジョンに反し、ヨーロッパの冷戦終結は「一方の側の勝利」に終わり、西側はその後、ロシアを共通の安全保障の枠組みに取り込む努力を怠った。本書はこのようにして現在にも連なる。
 分断の克服について語ると、「異議申し立ての自由を奪うのか」と拒否反応が生じるのは健全だ。だが、憎悪に満ちた分断の現状をふまえれば、多様性のある政治空間を保つためにも、対立のルールや前提について再考すべき時機ではないか。ライバルに勝つだけでなく、分断に勝つためにも知恵を絞りたい。=朝日新聞2022年10月22日掲載