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「掌に眠る舞台」書評 観ると観られるの間の儚い火花

評者: 稲泉連 / 朝⽇新聞掲載:2022年11月05日
掌に眠る舞台 著者:小川 洋子 出版社:集英社 ジャンル:小説

ISBN: 9784087718089
発売⽇: 2022/09/05
サイズ: 20cm/265p

「掌に眠る舞台」 [著]小川洋子

 油の匂いの漂う町工場の片隅――。
 父親の帰りを待つひとりの少女が、一度だけ見たことのあるバレエを工具箱の上で再現している。
 彼女が魅せられているのは「ラ・シルフィード」。ラジオペンチやネジ、ビスやバネを手の中で躍らせながら、無音の舞台が上演される様子を、向かいの裁縫工場で働く「縫い子さん」がそっと見つめている。
 冒頭の「指紋のついた羽」のそんな場面を読み、神聖にさえ感じられる静謐(せいひつ)な筆致にため息が出た。
 本書には「舞台」をテーマにしたどこか幻想的で、美しい8編の短編が収められている。
 かつて女優だったという“ローラ伯母さん”が、食器に書かれた台詞(せりふ)を読み上げる「ユニコーンを握らせる」。「役者さんたちが失敗しないよう、私が身代わりになるの」と語る失敗係の女性と、帝国劇場の「レ・ミゼラブル」の公演全てに通う「私」との不思議な邂逅(かいこう)を描いた「ダブルフォルトの予言」……。
 楽屋口で名もない役者のサインをもらい続ける女性の死から始まる「花柄さん」では、人というものの不可思議さと孤独が溶け合い、何か心の置きどころを失うような読後感を覚えた。
 なかでも強い印象を残したのは「装飾用の役者」だった。
 コンパニオンの主人公が、ある老人の家に設(しつら)えられた舞台で、雇い主一人のために装飾の役者になることを求められる一編。そこには「演じること」と「観(み)ること・観られること」のあいだで儚(はかな)い火花のように生じる、小説によってしか表現し得ない一度きりの時間が描かれていると感じた。
 8編の物語にはどれもほのかに不穏さがあり、胸の奥に澱(おり)のように積み重なっていくものがある。
 ふとした瞬間、奇跡のように思わぬところから目覚める「舞台」。そのこちら側と向こう側が交錯する一瞬一瞬に、繊細な魅力を感じた短編集だった。
    ◇
おがわ・ようこ 1962年生まれ。作家。『ミーナの行進』で谷崎潤一郎賞。『小箱』で野間文芸賞。