大人こそ楽しめる 毒ある文明批評
翻訳家の柴田元幸さんが本紙夕刊に連載した新訳『ガリバー旅行記』(朝日新聞出版)が本になった。豊富な注釈と易しい現代語訳でよみがえった名作は、21世紀の読者にも問いを投げかける。
『ガリバー』は児童書でもおなじみの18世紀の冒険小説。主人公のガリバーが小人国リリパット(1部)や巨人の国ブロブディングナグ(2部)を旅する。児童書では割愛されることが多い3、4部も奇想とエネルギーに満ち、その毒のある文明批評は大人こそ楽しめる。
「『ハックルベリー・フィンの冒けん』のほかに、素直に自分が訳したいと思っていた作品」と振り返る柴田さん。ポール・オースターやスティーブン・ミルハウザーなど、現代アメリカの気鋭の書き手を日本の読者に紹介してきたが、近年は電子化でさまざまな文学作品が手に入るようになり、古典と新作の区別や、アメリカか否かというような地域の枠組みが流動化したと感じるという。「昔はその分野の専門家にお任せしようと思っていたものも、今はフィールドを決めず目を向けたら面白いと思うようになりました」
柴田さんが看破した『ガリバー』の魅力の源泉は、「正義の軸が固定しないこと」。そうした「懐の深さ」は、時代によって多様な読みを可能にしてきた。
例えば、理性をもった馬たちが支配する4部のフウイヌム国。広島で被爆した作家、原民喜は馬に人間の愚かな所業の犠牲者をみた。一方で『1984』を著した英作家ジョージ・オーウェルは、理性だけが支配する馬の世界はナチズムの全体主義に通じる、と正反対の解釈を引き出している。
「原民喜は原爆というフィルター、オーウェルはホロコーストというフィルターを通じてそれぞれ読んでいる。どちらが誤読というわけではないんです」
現代の私たちが読み直すとき、目の前で起こる戦争や政治の腐敗と重ねて読むのは自然なことだ、とも。批評の射程が時を超えて現代に及ぶのは、すぐれた文学作品の証しだからだ。
「この小説のメッセージは『人間は愚かだ』ということに尽きますが、自分自身にも向けられたそのメッセージを言うときの祝祭的な熱量が、とにかく読みどころという気もしますね」(板垣麻衣子)
遊び心と機知満ちた挿絵、画集に 平松麻さん
平松麻さんの挿絵集『TRAVELOGUE G』(スイッチ・パブリッシング)も発売中だ。連載時の77点に加えて描き下ろし22点が収録されている。
リリパット国の政治家たちを風刺した一枚では作者スウィフトに似せた人物をさりげなく登場させるなど、「読者が気づくかどうか、ぎりぎりの仕掛けを考えるのが毎回楽しかった」と平松さんはいう。遊び心と機知に富んだ挿絵は、柴田さんも「原作のスピリットを反映しつつ、それに対する見事なコメントになっている」と絶賛。連載を監修した原田範行・慶応大教授(英文学)も「『ガリバー旅行記』の受容史において、間違いなく傑出した世界的業績」との言葉を寄せている。
スイッチ・パブリッシングのHP(https://www.switch-store.net/SHOP/BO0113.html)で購入できる。18日午後2時からは平松さんと柴田さんのトークイベントも。詳細はウェブサイト(https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/027n6npx3hq21.html)で。=朝日新聞2022年12月7日掲載