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「この父ありて」書評 愛憎からの出会い直しを丁寧に

評者: 稲泉連 / 朝⽇新聞掲載:2022年12月10日
この父ありて 娘たちの歳月 著者:梯 久美子 出版社:文藝春秋 ジャンル:日本の小説・文学

ISBN: 9784163916095
発売⽇: 2022/10/25
サイズ: 20cm/277p

「この父ありて」 [著]梯久美子

 「書く」という営みとは、こんなにも「生きること」と分かち難く結びついているのか――。9人の女性作家の生涯を描く本書は、そのような思いを読む者の胸に響かせる。
 二・二六事件で父を目の前で射殺された渡辺和子、小説家の田辺聖子、詩人の茨木のり子や『苦海浄土』の石牟礼道子……。著者が見つめるのは、彼女たちが父との関係の中で、いかに「書く人」になったかというテーマである。
 戦前から戦後を生き、そして、死んでいった父と娘たち。そこにはときに父の強さがあり、どうしようもない弱さや身勝手さがあった。娘たちはそんな父親を愛し、ときに憎む。
 なかでも詩人・石垣りんの父親への視線は辛辣(しんらつ)だ。彼女は4人の妻を持った父を嫌悪し、「きんかくし」などの詩の中であまりに直截(ちょくせつ)的な言葉を投げかけるのだから。
 本書の白眉(はくび)は、そうした彼女たちが社会に出て、自らの人生を生きようとした時、これまで接してきた父と再び出会い直す過程を丁寧に描いていることだ。
 例えば、『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』や『男たちの大和』で知られるノンフィクション作家・辺見じゅんは、父・角川源義の通夜の日に子供を連れて家を出た。父親の望んだ人生を捨てた彼女はその後、彼の訪れた土地を辿(たど)るように旅を続け、「父の世代」を描くというテーマに出会う。
 弟の角川春樹はそんな彼女の生き方を指して、「あの二人は“死後の親子”だと私は思っています」と語ったという。不在の父との新たな関係が、辺見を「書く人」へと変えたのである。
 簡にして要を得る抑制の効いた筆致に触れていると、心にじわりと沁(し)みて残るものがあった。表現が生まれる時、その傍らに分かち難くあった愛と憎。父娘の一筋縄にはいかない感情の糸を織り込みながら、戦中戦後という激動の「時代」をも浮かび上がらせた傑作だ。
    ◇
かけはし・くみこ 1961年生まれ。ノンフィクション作家。著書に『散るぞ悲しき』『狂うひと』など。