クリスマスの過ごし方、考えるきっかけに
――絵本を作ったのは、本当のクリスマス、本当のサンタクロースの活動を知ってもらいたいとの思いがあったそうですね。
今年で、公認サンタクロースになって24年になるんですけど、やりたかったことがいくつかあって。一つは、ミュージシャンとしてクリスマスアルバムを出すこと。これは、公認サンタクロースになった翌年に、東京パノラマラウンジというビッグバンドで「マンボDEクリスマス」というCDを出して実現しました。もう一つが絵本を出すこと。クリスマスになると、書店にサンタさん関連の絵本がたくさん並びますが、サンタさんが寒がりだったり、おっちょこちょいだったり、道化の対象のようにも見えて、どれを読んでも釈然としない思いがありました。
日本のクリスマスは、大きな靴下を吊るしておけばプレゼントがもらえる、それだけなんですよね。ヨーロッパでは、サンタさんに手紙を書いたり、サンタさんのためにジンジャークッキーを焼いたり準備をして、1年間いい子にしていたらプレゼントが届く。日本の実情とはまるで違います。ジンジャークッキーは、各国、各家庭で味が違う。100年以上受け継がれてきた、その家のレシピがあるんです。
――日本のお正月のお雑煮やおせちと同じですね。
クッキーの味がファミリーヒストリーなんです。11月中に部屋をピカピカにして、12月1日には盛大にツリーを飾って、1カ月間、クリスマスを楽しむ。日本だとお正月があるから25日を過ぎるとツリーから門松に変わってしまうけど、そういうせわしない感じじゃなくて、もっとゆったりクリスマスを楽しんでほしいという思いもありました。でも、私がこうやって一生懸命に語ってもなかなか広まっていかないし、なにかいい方法はないかなというところで、絵本にたどり着きました。
こだわったのは、子どもの想像力を養うこと。クリスマスやサンタクロースは夢を運んでくるみたいな言い方をよくしますけど、夢ではなく、自分がどうありたいか。サンタさんからプレゼントをもらうためにどうすればいいか、どうしたらクリスマスを楽しく過ごせるか、子どものうちから考えるきっかけになって、なおかつ、自分もいつかサンタクロースになりたい、そういう人が増えてくれるといいなという思いもありました。
――クリスマスの雰囲気を楽しむのではなく、もっと根本的に楽しんでほしい。本場では、大人になっても家族でクッキーを作ったりして楽しんでいるんですか?
そうなんです。日本では「おまえ、まだサンタクロースなんか信じてんの?」って、子ども同士で話すこともありますが、そういう会話は実は日本だけ。もし、親とか親しい人がサンタクロースなのかな? と思っても、追及したりしない。サンタさんはいる、だからプレゼントが届くとみんな思っています。サンタさんをいつまで信じていたかなんていうアンケートとか、それ自体が想像力を壊していると思います。イエス・キリストがどうとか、そういう問題でもなくて、単純にプレゼントがほしい。そのためにどうするか、それだけです。
この絵本は読み聞かせでもいいし、どちらかというと、小学校2、3年生くらいの、サンタさんの世界はどうなっているんだろうって思っている子が何回も読んで、こういう世界があるんだってことを知ってもらえるといいなと思います。童話的なエッセンスも入れましたが、サンタクロースのことをストレートに伝えられるお話にすることを意識しました。
煙突登りやクッキーの早食い!? 公認サンタクロースへの険しい道
――パラダイスさんが公認サンタクロースになったきっかけはなんですか?
他薦です。元々なろうという気持ちも全然なくて。ただ、当時、いろんな人のクリスマスライブとかコンサートにサンタクロースの衣装で登場していて、履歴書にもサンタクロースの写真を貼っていたんです。そんな時に、某テレビ局のプロデューサーに勧められて、半ば強引に公認サンタクロースの試験を受けることになってしまいました。試験は7月にデンマークで行われるんですけど、真夏にサンタさんの格好をして飛行機に乗るのが恥ずかしくて。でも、着いたら、地元のテレビや新聞の取材がきていて、「アジアから初めて公認サンタクロースの試験を受けにきた日本人」って。日本語でサインを書けって言われて「惨多苦労師」って適当に書いたら、翌日のテレビや新聞に取り上げられて、大騒ぎでした。
なる気もなかったから試験勉強も全然していないし、本気で受けにきている人がいる中でとても受からないと思っていました。でも、だんだん、うちの奥さんにしっかりした衣装まで作ってもらってここまできて、落ちましたって帰るのもまずいなあと思って、真剣にがんばったら、受かっちゃったんです。その年は9人受けにきて、私一人が合格。運命ですかね。公認サンタクロースになってから、その重責に気付いたという感じです。
――絵本にも描かれていますが、試験では煙突登りをしたり、クッキーの早食いをしたり、大変そうですね。
多少内容は変わっていますが、60年間、同じ試験を続けています。クッキーは、けっこう生姜が効いていて、日本人の口にはあまり合わない(笑)。外は寒いからクッキーを食べてサンタさんに温まってほしいという意味があって、ジンジャークッキーなんですけど、辛いし、苦いのもあります(笑)。体重は、昔はミニマム120キロだったんですけど、今は110キロ。みんな太り過ぎているんで、痩せないといけないんです。試験の最後は、長い巻物を読む。言葉は全部「Ho Ho Ho」だけ。「ホッホッホー ホッホッホー」って、10分近く言わされて、みんな無反応だし、ひどい罰ゲームだなと思いながら続けていたら、一番前にいたサンタクロースが立って拍手をはじめて、そしたらほかのサンタクロースもだんだん立って、スタンディングオベーションに。涙がでましたね、よかったって。
子どもたちとの出会いがあるから、続けられる
――公認サンタクロースはどんな活動をしているんですか?
グリーンランド国際サンタクロース協会の公認サンタクロースは、世界に120人いて、それぞれの国で活動しています。日本には私一人です。公認サンタクロースの一番重要なミッションは、さまざまな事情でクリスマスを家で過ごせない、小児病院や福祉施設にいる子どもたちにプレゼントを先まわりして届けたり、一緒に話をしたりすること。私が行くと、「サンタさーん」って、いろんな思いをぶつけてくるんですよ。私はカウンセラーの資格もないし、人生相談に適切な人間とはとても思えないんですけど、子どもたちと話していると、続けてきてよかったなと思いますね。以前、クリスマスツリーの点灯式に出た時に、おくるみで赤ちゃんを抱いたお母さんが来て「サンタさん、久しぶり! 娘を連れてきました」って言われて。公認サンタクロースになってすぐ、施設を回り始めたときに、一緒に写真を撮った子でした。その子がお母さんになって、その時の写真を持って会いにきてくれたんです。その子のために、そこにいられて本当によかったと思いました。
公認サンタクロースの活動はほとんど自腹で、ボランティアなんです。ボランティアって、やり過ぎて疲れちゃう人もいますが、これは私にしかできないボランティアだと思って、ある程度体力のことも考えてセーブしながら続けています。コロナ前は、毎年9月から12月まで200軒近く訪問していましたが、コロナ禍で病院に行けなくなってからは、オンラインで話すこともあります。子どもたちに「やっぱり生で会いたい」って言われると辛いですね。ホスピスなどはとても面会が難しくて、悲しい思いもだいぶしています。
――公認サンタクロースを24年間続けてこられたのは、子どもたちとの出会いがあるから。
そうですね。最初の2、3年はあまりにも過酷で、もういつ辞めてもいいかなと思っていました。3年目のサンタ会議に出かけるときに、「もうツライ。今年で最後かな」って言ったら、奥さんに「辞めたら? 行きたくなければ、行かなきゃいいじゃん。今すぐサンタクロースの衣装を脱いで、明日から家族みんなでプール行こう」って言われたんです。「3年頑張ってきたのに、そんな簡単に辞めろって言うか?」って、逆にその言葉に背中を押されました。そこでスイッチが入りましたね。これは一生続けなきゃダメなんだなって。
最初の10年間は、先輩サンタさんが厳しくて、公認サンタクロースとはどうあるべきかとか、可愛がり方がすごくて。でも、10年過ぎたあたりで急に、「今年は泊まる所あるの? なければうちに泊まっていいよ」とか、「釣りに行こう」とか、すごいフレンドリーになったんです。「石の上にも三年」じゃないけど、公認サンタクロースは10年経たないと認められないんだなと思いましたね。20年を超えた年は盛大にお祝いしてくれて、うれしかったです。
――パラダイスさんおすすめのクリスマスの過ごし方はありますか?
私はライスワークとして餃子を作っているんですが、クリスマスには餃子がおすすめです! 焼き餃子は日本の国民食。私も子どもの頃、母親の見よう見まねで餃子を包んで、ぜんぜんうまくできない不恰好なのもちゃんと焼いてくれて、それが美味しかったっていう記憶があるんですね。だから、クリスマスは家族で餃子。ひとりぼっちでも、料理の腕を上げるために包む練習を兼ねて餃子を焼きましょう(笑)。餃子は作る工程が多いので、めちゃくちゃ大変な料理なんです。だから、餃子ができれば何でもできると思います。食育ならぬ「餃育」です。そもそもヨーロッパでは、クリスマスはチキンじゃなくてポークを食べる習慣があります。餃子も豚肉だし、ちょうどいい(笑)。まずは、クリスマスはチキンという呪縛から脱することが日本の新しいクリスマスのステップになると思います。ホッホッホー! みなさん、楽しいクリスマスを!