群れないとアンテナが磨かれる
武田: 10年前になりますが、『紋切型社会』をBunkamuraドゥマゴ文学賞に選んでいただきました。その贈呈式後の二次会に藤原さんがいらっしゃったときに、「ここにはエライ人がいないのがいい」と言ってくれたのが印象的で、今でも覚えています。藤原さんの活動を考えたとき、「群れない」を徹底されてきたと感じています。SNSをはじめとした現代の承認欲求のように、自分の周囲・背景にどれだけの人がいるかを示すことで自分の力を証明する行動様式の対極です。
藤原:ひとり旅が長かったから自ずと群れないと言う行動様式が身についたのだと思います。それにひとりでいるとものがよく見えるし、感性やアンテナが磨かれる。気づきの世界が写真の仕事ですが助手がいたりすると感性が鈍ってしまうんですね。そう意味でも僕の仕事自体が「個」で成り立っていると言えますね。
僕の生まれた門司港という土地も、群れない土地柄です。港町なので一期一会でどんどん人が入れ替わる。それがまた心地いい。武田さんは群れたりしないの?
武田:不必要に群れないようにしています。群れようと思えば、いくらでも群れることのできる時代です。私とあなたで肯定し合う状況を作り、その状況を発信することはやりやすくなっていますが、それに甘んじてしまうと、瞬間的な心地良さは得られてもその奥に何があるわけでもない。
群れずにいるとイレギュラーなことや不快なことも起きますが、自分の場合、目の前に不快があったらそれを見てみようという感覚があるので、そのためにも人と群れない方がいいとは感じています。
藤原:写真もね、障害が目の前に立ち現れたときの方が、「これはいけるぞ」みたいのがあります。たとえば、ざんざん降りの雨だったり、強い風が吹いたりして、写真を撮るには状況的にまずいなという時の方が、「なんか映りそうだな」って。そういう負の状態を越えたときに別の世界が現れてくる。表現者はみんなそうなんじゃないかな。
武田:ここは何もないな、ここは何も撮れなさそうだなと、その場の状況を見たらわかるものなのですか?
藤原:もうそれは見なくてもわかりますね。空気感で。旅してて、この空気感やばいなと感じるようなものですね。最初のころは眼で見て写る写らないを判断していましたが、今はあまり見ないでも「写るな」とわかりますね。
武田:その感度は年々変わってくるものですか?
藤原:60歳を過ぎたころから、空気感だけで「これは写るな」となってきた。どこかすっとんで、逆に見えてくるんですね。写真は対象が主ですから、こちらがコントロールするというより、周りからコントロールされているわけです。そう言う意味で出来るだけ早く自我を無くした方が見えてくるわけです。自分の自我を対象にあてはめようとする写真家もいますが、僕の場合は、写真を撮るときは自我がすごく弱くというか、空虚になっています。朝から晩まで写真を撮って、ホテルに帰って新聞を広げても、しばらく意味がわからないくらい。写真を撮るとき、目だけになって空っぽになっているから文字列も画像として見てしまうんですね。
武田:藤原さんが出演されたNHKのドキュメンタリー番組で、「目というのは性善説なのだ」という趣旨の話をされていました。何かを見る時には、それを積極的に善きものとして見ようとすると。
藤原:性善説というのは、僕自身のことです。全ての人の目が性善説かはわからないけれど、僕の目は性善説だと思っている。ポジティブなものや美しいものに自然と目が惹きつけられている。と言うより生命の輝きですかね。
たとえば、『メメント・モリ』の「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という写真でも、あれは僕にとってものすごく綺麗だったんですよね。水葬された死体を犬が食って、犬の血肉になって生命が循環するという世界観がそこにある。
たまたま性善説の目を与えられたことはこの時代にあって良かったと思っています。今の時代というのは深掘りしていく、つまり意味の世界を追っていくとアポリア(出口がない難問)に迷い込んでいってしまう。それを目が救ってくれているという自覚はありますね。この年になって、今も意味を追い続けられているのも、目がいつも自分の心を中和してくれてるからかもしれない。そういう意味では絵も同じですね。美に支えられている。この出口のない時代で物書きとして意味を追っていくのは大変な作業なんです。
空虚になることで出会える偶然もある
武田:『メメント・ヴィータ』を読んでいて、藤原さんにとっての重要なテーマだと感じたのが「偶至(ぐうち)」という言葉です。辞書にはない造語で、偶然にはそこに至るだけのプロセスと人間の気力がある、と書かれています。
今、世の中で起きている事、作られているものの大半が、必然性をいかにして組み立てるか、便利に使えるようにするかが求められています。便利というものから遠ざかるのが大変な時代になっています。加速し続けている。藤原さんがずっとされてきた、「偶然に至る」という身体性、その感覚をどう取り戻せるのかと読みながら考えていました。
藤原:本のなかで書いた偶至という言葉は、人の行動には一定のところに必ず障壁があって、そこを乗り越えたところに偶然が生まれるということを言っています。努力とか根性とか古風な行動様式を言っているのではなく、生命力ですかね。生きる力というのはもともと苦しさの中で産道をくぐり抜けたように障壁を乗り越えようとする趨勢を持っているんですね。
武田:もう15年くらい前になりますが、僕が編集者をしていたころ、とあるノンフィクション講座に藤原さんに出ていただいたことがありました。100人くらいの参加者がいましたが、藤原さんが開口一番、「僕の話は役に立たないと思うよ」とおっしゃった。「ノンフィクションというのはデータなどを緻密に組み上げていくものだけれど、僕は取材時にメモも取らないし、頭の中に残っているものを書くので、君たちが求めるノンフィクションとは違うものなのかもしれない」と話すと、参加者の多くがぽかんとしていたのを覚えています。
藤原:実際、僕はメモは一切取らないし、ただ旅して帰ってくるだけ。ただ、あるシーンを描こうとしたらありありと思い出せるんですよ。メモというのはメモ以上の情報はないでしょ。記憶というメモは意識していなかったものまで重層的に蓄積しているからそれを取り出せた場合の情報量はメモの比ではない。そういう意味では自分はノンフィクションライターではないスタンスで世界に対していると思いますね。
武田:今、この取材でも、録音しているのは、取りこぼす怖さを感じているからです。あとで振り返ってこの部分が重要な話だったらとどうしようかと。藤原さんは、取りこぼしてしまっているのではないかとの恐れを感じないのですか。
藤原:ないですね。逆に脳は篩(ふるい)を持っていて必要でないものは払い落とし、必要なことや興味のあることは緻密に記憶化されると思っています。さらにそこに視覚が加わる。例えば人の場合、表情とか立ち居振る舞いを覚えていて、そのビジュアルの記憶がさらに補強してくれる。ある人の文章を読んでいて目の前にありありと風景が浮かんで来る場合、そのような総合的な記憶を駆使しているのかもしれません。
武田:あらゆる情報のなかで、その目で覚えているシーンを書くというのは、藤原さんの自我であるはず。不思議なのは、それでいて、書かれているものに藤原さんの自我が前面に出ていないことです。
藤原:そうですか。であれば写真と同じですね。対象があって初めて自分が存在しているわけだから、己を虚しくするほど自分の中で表現すべき他者の輪郭がはっきりする。これは写真家という世界だけではなくて、人間関係においてもそういうところがありますよね。自我が強ければ強いほど目の前の他者の気持ちを汲み取れない。そんな不毛な人間関係は特にこのネット社会にあっては昔よりかなり肥大化しているように思います。
世界を生命の発露としてとらえる
武田:2022~3年にかけて世田谷美術館で開かれた展示「祈り・藤原新也」、見応えがありました。以前、回顧展はあまりやりたくないとお話しになっていましたが、「藤原新也はこういう人だ」という風に遡られるが嫌なんですか?
藤原:自分の過去に興味がないんですよ。信じられないかも知れないが僕は本棚に自分の過去の著作が揃っていなくて必要な時に知人に借りたりする。過去の写真もそうです。回顧しない人なんです。だから回顧展をやってくれと来た時まったくノリが悪く、そのまま数年放置していました。それでも何年か前に撮ったインドの写真を見ている時、ふと「祈り」という言葉が浮かんできて、その祈りというキーワードで過去の写真を洗いなおしてみると過去の写真が生き生きと見えて来たんですね。
「祈り」展は世田谷美術館で最も客が入った写真展になりましたがそれは回顧ではなく、新たに今の自分の意識で過去の写真を再編集し今という時代にぶつけたからです。あの写真展を見て意識が変わったという言葉が多く聞かれました。サイン会に来た僕のファンらしくないIT系の青年2人が「この展覧会を観て、自分が何か忘れ物をしているなあと思った」と話したのが印象的でした。
武田:会場に緊張感があったのを覚えています。会場内は撮影可だったのですが、僕が観たときは撮る人がほとんどいなかった。
藤原:人は本当に何かを感じているときは携帯を出さず肉眼で見ますよ、インドの聖地バラナシ(ベナレス)の路上で3メートルの書紙を広げて、「大地」と揮毫したときも、誰も携帯で写真を撮っていなかった。写真であれ書であれ、自分の発信するものは肉眼で見ようとする人が多いように思います。
武田:『メメント・ヴィータ』にある「十万個のいいねと一つのハグ」という文章のなかでも、今、写真を撮るという行為が他者を撮る、世界と関係を持つという行為から、自分を撮るようになったと書かれていますね。
藤原:ビートルズに「LOOK AT ME」という曲があります。それは共同体が崩壊し、他者や家族との関係が希薄になっていく近代社会において多かれ少なかれ誰もが共有している意識だと思います。ネット社会においてはさらにその意識はどんどん加速している。1980年に金属バットで両親を殴り殺した少年の育った土地の写真を撮ったとき、初めて家庭崩壊という言葉が生まれたんだけど、いまや家庭崩壊は普通にどこにでも転がっている。つまり愛情欠損というものを大なり小なりみな基本的に持っている時代です。スマホ写真とは人に送ってはじめて完結する写真様式ですが、インスタ映えとは自分が映えるということであり、そのスマホで撮ったインスタ映えのパフェを持つ手の袖から何本ものリストカット跡が見えるというそういう時代です。だけどそれも写真だと思う。僕にはそういう写真が撮れない。
武田:タイトルにはどんな思いを込めたのですか?
藤原:『メメント・ヴィータ』というタイトルは最後の最後につけたんです。オウム真理教や安倍元首相や統一教会や連合赤軍の人々など、自分の体験もふまえて書いていくなかで、社会的な意味では人は善と悪に峻別できるんだけれど、書いているうちに悪人も妙に愛しく思えてきちゃってね。その意識は『俗界富士』という俗界から見た富士を撮った写真集にもあります。正午の強烈な太陽に照らされた遠くの富士山を撮っているその前景に真っ赤なコカコーラの自動販売機がある。富士の輝きも自動販売機の輝きも同じように神々しく輝いている。その時自然と等価に撮っているんです。オウム問題を書いている時、最後の方でそのような意識になってきちゃったんですね。善も悪も人間の生命の発露であると。この世紀の悪行の物語にメメント・ヴィータ(生を想え)というタイトルをつけた、その自分の思いや意味合いをわかる人はあまりいないかもしれません。
武田:善悪ではなく、光なんですね。
藤原:いろんな登場人物がいて、悪い役をやったやつも、善い役をやったやつも、全力で生きたわけです。その意味ではいずれも尊い。これまでもオウム真理教についてはさまざま書いてきたが、今こう思うようになったのは年齢かもしれない。
この最後の文章を読んで、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」という言葉が浮かんできたと言った人がいましたが、そういう意味では20代の頃と今の意識には通底したところもあるのかもしれません。
(構成・加藤修、写真・種子貴之)