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「人間椅子」和嶋慎治さんが再び行き着いたホンダXL50S

レストアされたホンダXL50S=和嶋慎治さん提供

 大学受験に失敗したので、仙台の予備校に入った。いや、失敗した、は正しくない。将来の展望があるでもなく何かやりたい学科があるでもなく、勉強をほったらかしにして立ちすくむうちに、そうなっただけのことだ。

 予備校で最初に友だちになったのは、山形出身のM君だった。お互いに筒井康隆のファンで、意気投合したのだった。M君の下宿に行くと、郷里の仲間がわらわらといる。楽しそうにバイクの話なんかをしていて、青春だなあと思った。M君はホンダのMB50、それがし君はヤマハパッソーラ、なにがし君はヤマハベルーガに乗っているらしい。

 気が付くと、僕も原付免許を取っていた。仕送りから捻出したお金を握りしめ、予備校近くの、いかにも浪人生相手といった風情のH輪業に向かう。和嶋君におススメのバイクがあるよ、とM君の進言があった気もする。「ミッションの原付バイクが欲しいんですけど」あーいいのがあるよ、これはどうだい、ほら、いい音がするだろう。ニコニコと若いお兄さんがバイクを押して来て、さも得意気にエンジンを吹かした。

 スクーターではなくギヤ付にしたのはM君の影響だったが、何だかモンモンと変な音がする。「いやあ、4ストいいなあ。やっぱり和嶋君には2ストロークじゃなく4ストだよ」と、一緒に来てもらったM君が言う。そうか、これって4ストなのか。目の前のバイクは武骨な形をしていて、本当はM君のみたいにスマートな2ストのバイクが欲しかったのだけれども、否応なしに気持ちは高ぶってくる、僕はそいつを買うことにした。ホンダXL50S、僕の初めてのバイクだ。3万5千円だった。

 それからはもう、予備校にも行かず仙台近郊を走り回る日々。山形まで足を延ばしたこともある。ところがふとしたきっかけで──まったくの僕の狭隘な心が原因だが──M君とは疎遠になってしまった。

 入れ替わるように、今度は中学高校と同窓のS君とつるみ出した。予備校は別だったが、S君がバイクに乗っていることを思い出したのだ。僕はとんでもない悪友だった、「S君、どっか行かないか」と誘ったのは僕の方だ。S君の愛車は、カワサキのAE50だった。

 松島には何度行ったかしれない。秋も終わりになろうかというある日、「S君、どっか行かないか」いつものように訪ねると、「和嶋、俺もそろそろ勉強したいんだ。もう誘わないでくれないか──」。僕が傷付くのはお門違いだ。当然この日が来るのは分かっていたはずだ。僕らは浪人生なんだ。

 冬になっても、僕は相変わらずバイクに乗っていた。いったい僕は何になりたいんだろう、何をすればいいんだろう──埒が明かないことを考えてばかりで勉強に手を付けもせず、受験から、人生からまるで逃げるように、夜の仙台を疾駆した。後から後から、ひたひたと焦燥感が追い掛けて来た。

 どうにかこうにかとある学部に潜り込み、XL50Sはせっかく買ったんだからと、実家に置くことにした。時々は父親が運転していたらしい。その父親も僕が30を過ぎてすぐに他界し、以後XL50Sはガレージで埃を被るままになった。

 夢を見た。15まで住んでいた昔の実家のガレージに、バイクが何台も停まっている。あれ、こんなに持っていたかなあと怪訝に思うも、その日の気分に合わせて僕はバイクにまたがる。青いやつ、白いやつ、赤いやつ。自然と気分が爽快になって、市街地だったり工場街だったりを僕は駆け回るのだ。そんな夢を、長いこと繰り返し見ていた。

 バイクは何台か乗り継いだ。もちろん1台ずつだが。本格的に貧乏になり出してからは、日常の足としてのスクーターしか乗らなくなった。

 ようやく貧乏から脱出したと思えた頃だ、再びギヤ付バイクに戻りたくなった。多分、青春に忘れ物をした気がずっとしているからだろう。古臭い、時代遅れのスズキの125ccを買った。

 ブランクを経て乗ったマニュアルのバイクは、たまらなく新鮮で痛快だった。お店に敬遠されがちな車種(海外OEM生産)ということもあり、自分で整備も覚え出す。すっかり魅力に取り憑かれ、1台また1台とバイクが増える始末。

 置き場所に窮し、横浜の倉庫の一角を借りた。自宅から毎日のように通い、時には泊まり込んで、愛車たちを磨いたりいじったり。青色の380ccで工場街を走っていた時だ、猛烈なデジャヴに襲われた。ああ、これはいつも夢で見ていた、あの光景だ──。

 やがて倉庫に日参するのも億劫になり、小屋付きの物件に引っ越す。さらにバイクが増える。もはや増車にあたって何の抵抗も感じなくなっており、ついにここに至って、実家で眠ったままにあるXL50Sのことを思い出す。機は熟したのだ。

 実家から引き上げて来たXL50Sは錆と泥まみれで、レストア必至だ。もう20数年動かしていない。丁寧に分解し、錆を落とし、磨き、塗装し、消耗品は交換し、すべてが組み上がるまでに1年掛かった。現行の道路事情において50ccでは危険と思われたので、エンジンは他車種の100ccのものに換装した。ホンダの4ストミニエンジンは、今も部品が豊富で、流用も容易なのだ。あの時のM君の助言、「やっぱり和嶋君には4ストだよ」に感謝せざるを得ない。

 世の中は空前のバイクブームである。うがった見方をすれば、EV化の波を前に、あたかも去りゆくレシプロエンジンを惜しむかのようである。我々世代、リターンライダーと呼ばれる一群は、ことにその思いが強かろう。

 リターンライダーは、きまって次の言葉を口にする。上がりのバイク。晩年を共に過ごすバイクの意味合いだが、それは外国産の大型バイクだったり、スーパーカブだったり、憧れの旧車だったりと、人によって千差万別である。

 さてXL50Sは、僕の初めてのバイクだ。長い眠りから自らの手で覚まし、今また乗り出した。ギヤチェンジする度に、カーブを曲がる度に、あの青春の日々が甦る。つい仕事をほったらかして、ヒリヒリした焦燥感に駆られつつ、スロットルを捻っている。あの頃と何も変わらない。そして風を切り、山を抜け、僕は僕が何者にもなっていないことを、僕が何者でもないことを感じ取るのだ。XL50Sは、僕にとってαでありωである。どうやら僕は、上がりのバイクを手に入れたようだ。

 ──S君、またどっか行かないか。