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日常の価値観が揺らいだ2022年、「正しさ」の模索は続く 朝日新聞文芸記者が選ぶ5冊

(写真左から)高瀬隼子さん、砂川文次さん

揺らぐ価値観、「正しさ」への欲求と抑圧

 コロナ禍も3年目となった2022年が暮れてゆく。海外ではロシアがウクライナに侵攻し、戦争が始まった。くしくも昨年刊行され、ソ連の女性狙撃手の活躍と葛藤を描いた逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)が本屋大賞に。今年最も売れた単行本フィクションとなった。

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 一方、国内では元首相への銃撃事件をきっかけに、長年にわたる宗教と政治の不透明な関係が取り沙汰された。昨年、1年遅れて開催された東京五輪をめぐっては、一連の汚職が発覚した。信じていた日常の価値観が次々と裏切られ、足元が揺らいだこの一年、私の頭の中にちらつき続ける言葉があった。

 〈ちゃんとするってなんなんだ〉。年初に芥川賞を受賞した砂川文次『ブラックボックス』(講談社)からの引用だ。主人公は、自転車で荷物を届けるメッセンジャー。分刻みの依頼に向き合うことで漠然とした不安を覆い隠していたが、ある日の転倒事故が契機となって、身一つで綱渡りをするような現実への恐怖が顔をのぞかせる。

 ちゃんとしなきゃいけないのはわかる。だが、ちゃんとしているように見える街のオフィスビルも、そこで働く人たちの生活も、彼には中身を見通せないブラックボックスのようなものでしかない。〈ちゃんとしろちゃんとしろちゃんとしろ。記憶と思念が焦燥を掻(か)き立てる〉。同居相手の妊娠を機に決壊してしまう彼の生活を、むしばんでいたものは何だったのか。

 ちゃんとすることへの欲求とそこから生まれる抑圧は、上半期の芥川賞を受賞した高瀬隼子『おいしいごはんが食べられますように』(講談社)からも読み取れた。職場で器用に立ち回る男性社員の二谷は、線が細く、仕事で無理をさせられない同僚の芦川さんと付き合っている。

 繁忙期でも残業をせず、手料理をふるまってくれる芦川さんから〈お味噌(みそ)汁とか、なるべくちゃんとした、体にいいものを食べてくださいね!〉というメッセージを受け取った二谷はしかし、深夜にカップ麺を食べることがやめられない。〈なるべくちゃんとしていない、体に悪いものだけが、おれを温められる〉。こうした暗い欲望は、誰の中にもあるはずだ。

 芸能人の不倫のニュースは今年も世間を騒がせた。ネット上の誹謗(ひぼう)中傷が社会問題となるなか、不倫をした側の心中をつぶさに描いてみせたのが、綿矢りさ『嫌いなら呼ぶなよ』(河出書房新社)の表題作だった。

 妻の親友宅で開かれる3家族合同のホームパーティーに招かれた霜月は、その場で自身の不倫疑惑を追及される。証拠写真を突きつけられ、全員からつるし上げに遭うが、彼に言葉は届かない。〈確かに不倫はした。しこたました〉〈たださ、君たち関係なくない?〉。過熱する非難の声にあらがいながら、〈一応、暴力だろ。石でも言葉でも嫌悪でも〉と彼は思う。

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 年を追うごとに輪郭を濃くする「正しさ」に、人間はどこまでついて行けるのだろうか。上田岳弘『引力の欠落』(KADOKAWA)の冒頭で、ファッション誌の表紙に「SDGs」の文字を見た主人公は、スマートスピーカーに話しかける。

 〈ねえ、Alexa、そんな風に最短距離の正しさに満ちた世界ってとても窮屈だと思わない?〉。スピーカーは〈すみません、よくわかりません〉の定型句を返す。そのことに安心感を覚える主人公は、〈全部の正しさがもう明白で、決まり切って〉いる世界で出口を夢想し続ける。「正しさ」の外側へ。そこは、錬金術師や古代中国の始皇帝を自称する人物たちがカードゲームに興じる異界だった。

 かたや、「正しさ」の本質を突き詰めるような物語が、小川哲『君のクイズ』(朝日新聞出版)だ。早押しクイズで、問題が一文字も読まれていないのに「正解」が出る。不正か、それとも魔法か。その謎を追うことで次第に、主人公は過去の記憶や経験と向き合うことになる。

 〈「ピンポン」という音は、クイズに正解したことを示すだけの音ではない。解答者を「君は正しい」と肯定してくれる音でもある〉。だが、「正しさ」を裏付け、人生を肯定してくれるピンポンの音は、たやすく感動の装置へと反転してしまう。作者はそこまで書いて物語を閉じた。その意味を深く、かみしめたい。(山崎聡)=朝日新聞2022年12月21日掲載

私の3点

■鴻巣友季子 翻訳家・文芸評論家

  1. ショクーフェ・アーザル『スモモの木の啓示』(堤幸訳、白水社)
  2. アリ・スミス「四季」4部作(木原善彦訳、新潮社)
  3. グアダルーペ・ネッテル『花びらとその他の不穏な物語』(宇野和美訳、現代書館)

 (1)イラン革命に巻き込まれる家族を見つめるペルシャの魔法の語り。(2)作者は読み手をメッセージに誘導しない。絵から物語を作るか、物語から絵を考えるか。(3)窃視、サボテン自認、女性用トイレに残る痕跡。今の英米圏の感覚では書けない心のモンスターたち。

■町屋良平 作家

  1. 日比野コレコ『ビューティフルからビューティフルへ』(河出書房新社)
  2. 井戸川射子『この世の喜びよ』(講談社)
  3. 小砂川チト『家庭用安心坑夫』(講談社)

 言葉の可能性を信じるための三作。(1)を構成する世代間などあらゆる差異を越える装置としての文体。(2)の限られた視点によってこそ見えてくる巨大なものが過去や未来から引き寄せられる。(3)は小説という歴史を信じる語りが人の内外に等しく光をあてる。

■吉川トリコ 小説家

  1. 藤野千夜『団地のふたり』(U―NEXT)
  2. 佐藤亜紀『喜べ、幸いなる魂よ』(KADOKAWA)
  3. 斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス)

 (1)は現代日本を(2)は18世紀ベルギーを舞台にそれぞれ結婚という選択をとらなかった女たちがともに生活し老いていく姿を描く。心の底から清々する。(3)文学を通して韓国現代史を見つめ直す。日本の植民地支配がなかったらまったく違った歴史があったのだろう。