――今回の本は、2019年冬の「文学フリマ」で販売されたZINEがもとになっているそうですが、ZINEを作ろうと思ったきっかけはなんでしょうか。
大学時代からの友人で書き手としての仲間だと勝手に思っていたような人たちが、にわかに注目され始めているぞ、みたいな機会がいくつかあったんですね。そういうのを見て何かわたしもやってみようかなという気持ちになりました。ちょうど30歳になる直前だったので、節目かなというのもあって、「ちょっと一発、作ってみよう」という感じです。
――エッセイの中に、周囲の人が注目を浴びていることへの焦りや、自分が書くことへの迷いがぐるぐる渦巻いている様子が隠さず書かれているのも印象的でした。
わたしは、ふつうの生活をしている、ただの一般人です。そういうわたしが書くことに意味や価値があるのかなと思いつつ、でも、なんだかよく分からない自信があるんですよね。ZINEを作ったときも、「これ売れなかったらやばくない?」「売れなかったらみんながおかしい」と思っていました。その裏腹な気持ちです。
――ご自分のエッセイがこうして一冊の本として書店に並ぶようになって、嫉妬や焦りは薄れるものですか?
あまり変わらないですね。ただ、「嫉妬」といっても、微妙に違うのは、その書き手自身に嫉妬するというよりも、「これで認められるのはおかしくない?」みたいな気持ちに近い気がします。「それならわたしのを読んで」という感じで、評価する人たちに対する憤りかもしれないですね。何様だって話ですけど。
「みんなもそう思ってるなら、もっと仲良くしようよ」
――描写のディテールの細かさも特徴です。記憶が引きずり出されるような感覚がありました。
抜けた前歯のない歯茎の感触や、掃除の時間に流れていた音楽。蛇口をひねって飲むぬるい水。それはいつも濁って見えた。家庭科で作った、変な柄のエプロン。すべてが断片で、センチメンタルでもノスタルジックでもない。水のなかでおそるおそる目を開ければまばたきのたびに揺らぐように、何度も思い出すうちに、いいように記憶は大きくなったり、しぼんだりする。夢に色や声はあるかどうか、後から聞かれても分からないような、それとどこか似た何か。それにしたってひとつずつのシーンは鮮明で、だからときどき思い出すというよりは、こうしてたびたび取り出して眺めている。でも、いつもそこには、みんながいない。水中で、だれの声も聞こえないような。視界がずっと、自分の吐く泡ばかりなのだ。(「さわやかなかぜ」)
「共感しました」とか「わたしもそうです」と言われることがあって、うれしいんですけど、「みんなもそう思ってるなら、もっと仲良くしようよ」と思います。「そんなあ、早く言ってよ」って。そうしたら、もっと楽に生きられたかもしれない。自分だけ変なことを考えているんじゃないかと思って書いているところがあります。
――文章の「解像度が高い」と編集者や読者に言われるそうですが、確かにそう感じます。
よく言っていただくんですが、解像度って、何なんですかね。
――なんとなく感じているけど、うまく言葉にできないことを的確に言い表すような言葉を堀さんは持っているということでしょうか。
たしかに、「他の人には分からなくても、わたしには分かる」と言われることもあります。
――いわゆる「あるある」のように誰もが分かる話ではなく、「自分のこと」だと感じる人が多いのだと思います。
わたしは見たままを書いているというか、ある意味「写生」なんです。みんな見たままを言葉にしたら、それぞれの解像度高い文章、言葉になるんじゃないかなと思うけど。
――多くの人が、そんなに細かいところまで見ていない、見えていないのかもしれません。「写生」という意味では、短歌を詠まれていることと関係しているのでしょうか。
そうですね。やっぱり、近代短歌にとっては、写生は基本ですよね。だから、現代の歌人の場合でも、絵画でいうところのデッサンのように、写生の感覚を身につけている人は多いのかなと思います。
――フィクションのような雰囲気のある文章もあり、例えば「小説」として書く選択肢もあったかと思います。エッセイという形式について、どんな風に考えていますか?
わたしがそのときに本当に思ったこと、感じたことを書いているので、ジャンルとしてはエッセイなのかなと思います。それがたまに飛躍してフィクショナルになることはあっても、やはり自分のことを書いているという意識があります。割とエッセイの自由度の高さを信頼しているのかな。
ふとした瞬間の裂け目を志向したい
たとえば、今回の本の中で一番自分が気に入ってるのは、「みんなさかな」という短い文章です。
――大学の卒業論文の口頭試問の思い出を書いた作品ですね。
張りつめた空気のなか、論文の要旨や、内容についていくつかの簡単な確認のやりとりがなされた後、指導教授の隣に座って両手を組み、じっとそのやりとりを静観していた女性の教授が、コの字形のつくえを挟んで向かい合った向こう岸から、
「わたしにわかるように、何かひとつ詩的言語の例を、具体的な詩を引用して、示してください」と云った。
わたしはそのとき黒い表紙にひかる箔押し文字を思っていたけれどアンドレ・ブルトンと、その名前が出てこず、
「溶ける魚」と云いかけて噤み、もう一度口をうすく開いて、
「みんな魚」
と云った。
つくえを挟んだ向こう岸から、すこし遅れてしばしの沈黙がこちらにやってきて、どれくらいたっただろう。
「みんなさかな」
細い声が返ってきた。そのひとの声はたぶんちょっと、ふるえていた。
けれどわたしは、向こう岸と隔てられたままそのときの沈黙がずっと、つづけばいいと思った。
みんなさかな、みんな責任感、みんな再結成されたバンドのドラム
笹井宏
(「みんな魚」)
大学生の頃は、現代詩を書いたりもしていました。その名残かもしれませんが、詩的な表現に憧れがあります。ちょっと飛躍したり、違う世界が垣間見えたり、ふとした瞬間の裂け目、この「裂け目」って表現は歌人の穂村弘さんが言っていたかな、と思うのですが、そういう詩的なものを志向したいですね。
――職場でもある学校での出来事や生徒についてのエッセイも多いですね。多くの人が学校生活を経験しているので、記憶を呼び起こすものがあるのかなと思いました。堀さん自身は学校を題材にすることについてどう考えていますか?
わたしは、もともと教員になるつもりはありませんでした。学校が好きなわけでもないし、先生って嫌な人たちだなと思っていたくらいです。
中学生ぐらいのときに「死ぬってやば」と思ったんです。でもそれを誰にも言えなかった。だからもし当時、「みんな死ぬってやばくない?」と言ってくれる先生や大人がいたらよかったのにな、と思うことがいまでもよくあります。多くの子どもたちにとって一番身近な大人である教師のなかに、そういう真理のようなもの、世の中や世界の変なところをちゃんと知らせてくれる人がいたら、わりと自分は救われたんじゃないかと思っていました。
なので、変な大人として、しんどい思いをしている生徒に何か言えたらいいなという気持ちはありますね。30人いても、ほとんどは聞いてくれなくて、笑っているだけの子も多いです。元気な子は、それでいいんです。ただ、1人2人、ちょっとしんどい思いをしている子がいる。学年に1人でもいいから、そういう子たちのことを気にかけていたい。
なんだか宮沢賢治みたいなことを……
――「あとがき」で、人生における様々な選択においていわゆる社会の「ふつう」に乗っかってきた自分が書いたものがどう読まれるか、という迷いに触れていたことが印象的でした。堀さんが編集者の北尾修一さんに「わたしはたとえば、ヘテロセクシャルで、結婚をし、夫の姓を名乗り、子どもがいて、生活に困っていない。そういう安全なところから、守られたところからものを言い、違う立場の人を傷つけてしまわないか、すごく怖いです」と吐露する場面があります。北尾さんは「それはもう、堀さんのほうが被害者になろうとしていません?」と応じました。
あのときの北尾さんは、すごく怖かったんですよ。だけど、言っていただいてよかったです。目が覚めた。やっぱり被害者面は絶対してはいけないと思うし、「ふつう」であることにあまり卑屈になるのはよくないなと思っています。わたしはわたしとして書けることを書いたらいいし、同時にマイノリティである人とも、互いが何かを渡し合う、そういう道は絶対にあると思う。
この1冊を書いて思ったんですが、わたしは、すごく小さな、日常の些細なことを取り上げるか、逆にすごく大きな「みんな元気でいてくれ」「みんな戦争やめろ」みたいな、めちゃくちゃデカいことにいっちゃうか、どちらかなんです。
どうしても話が大きくなる。宮沢賢治のような感じで、「ほんたうのさいはひ」探しみたいな話になってしまう。自分でも、「なんか宮沢賢治みたいなことを書き始めてるぞ」みたいな。そんなこと、恐れ多いんですけども。
書くことが極端に小さなことか大きなことになってしまうのは、わたしの弱点でもあり強みでもあるのかもしれません。本当は、その中間の社会的な目線も持っていたい。まだエッセイでは書ける自信がありませんが、いまのわたしにとっては「日記」がその可能性なのかなと思っています。日記なら「きょうの新聞にこんなことが書いてあった」ということから始められる。いま、日本は、世界は、こういう状況だという事実や、そのとき自分が思ったことをちゃんと残していきたい。
――シリアスな話題のなかにも、ふとした笑いが盛り込まれていますね。
意識しないと、暗い方、シリアスな方に寄ってしまうことが、結構あります。みんなのしんどさや生きづらさみたいなものを無意識に背負おうとしてしまってるのかもしれません。
この本の編集をしてくれた北尾修一さんが、さくらももこのエッセイを読み返して、「面白いけど笑いが多すぎる」と言っていたのが、すごく印象的でした。30年ぐらい前は笑いの多い文章がとても受け入れられていたんだな、と。その時代に読まれる文章やそのカラーは変わってくるんだなと思う。
わたしは「ちびまる子ちゃん」と「あたしンち」が人生で一番読んだ漫画かもしれない。「あたしンち」なんて、たぶん最初のコマを見たら何のオチか分かる。クイズでやってほしいくらいです。あとは吉田戦車や、うすた京介の「ピューと吹く!ジャガー」がめちゃくちゃ好きで、繰り返し読んできました。本当はそういうものが好きで、享受して生きてきた。ルーツであり、核なんですよね。でも、何か自分が今書くとしたら、ギャグだけ、笑いだけではない。
本当は笑っていたいし、みんなにも笑ってほしいし、ユーモアが書けたらいいなと思うんですけど、やっぱり自分だけがヘラヘラしている場合ではない。その裏で社会はやばい方向に行っているぞという不穏さはやっぱりあるし、それに目をつぶっては生きていけない。
ただ、意識しないとエッセイはシリアスな話にいきがちな分、日記では「紙みたいに薄い生ハムの値段が高くてめまいがした」みたいな自分のけちでどうしようもない部分とか、みっともない部分を書いて、バランスを取ってるかもしれないですね。
――他者と「分かり合えない」ことについてもなんども書かれていました。
そうなんですよ。全体を通して読んでみて、結構びっくりしました。何カ所か消したぐらいです。「みんな幸せであれ」というのと、「人とは分かりあえない」ということを、手を変え品を変えて書いている。それでも執筆時は毎回全然違うこと書いてるつもりだったんです。
書いているときに、友人や夫との関係で、分かりあえないって思ってたんでしょうね。それはいまも続いています。
しんじつ、分かり合えなさはほんとうに、わたしたちのたったひとつの希望で、分かり合えないからこそ歩み寄ろうとする。なのにそんなことぜんぜん知らないふりをして、がむちゃらにぬぐい捨ててしまおうと、いつもだれかの手を強引に引こうとする。(「春がきらい」
諦めたり、分かったつもりになったりしたら、その人との関係は、ある意味で終わってしまうところがあると思う。絶対に分かり合えないと思っていることが、その人との関係を繋ぐ大事なものなのかなって。全力で分かりたいし、分かってほしいと思うんですけど。漸近的に近づいていくというか、絶対に交わらないところまで、ギリギリまでやっていくのかなという気がするんですけどね。
いま、「いいこと」言っちゃったかもしれない。難しいですね。そんな常に全力で分かり合おうとしているかというと、分からないです。もっと妥協したり諦めたりしていることもたくさんあります。でも、それでも、という気持ち。分かり合えなさを「希望」に人とかかわりたいと思っています。