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砂原浩太朗さんを涙ぐませるフレッド・アステアの軽み

©GettyImages

 ミュージカルが好きである。映画でも舞台でも時間があれば優先して足を運ぶし、最近はそうでもないが、10代から20代にかけてはサウンドトラック盤もずいぶん買った。

 なかでも惹かれるのは、フレッド・アステア(1899~1987)。全盛期が戦前だったせいもあって作品が劇場にかかる機会は少ないが、ミュージカル・スターといえば、まずはこの人を思い浮かべる。とりわけ、アーヴィング・バーリン(「ホワイト・クリスマス」など)の曲と相性が抜群である。

 大学1年のとき、ミュージカルの授業で出演作を観せてもらったのが彼を知るきっかけだが、かなりの人気科目だったため受講に際して抽選がおこなわれた。私はさいわい当選したものの、まわりでは落ちたひとが続出。ミュージカルはそれ以前から好んで観ていたが、前述のごとくアステアの作品はスクリーンにかかる機会が少ないから、ここで出会わなければそれきりだった可能性も高い。そう考えると、大げさでなくぞっとしてしまう。アステアのいない人生は、さぞ殺風景だったに違いない。

 そのとき観たのは「トップ・ハット」(1935)だが、管見のかぎりでは、これが彼の最高傑作だろう。音楽はやはり、アーヴィング・バーリン。

 ストーリー自体は他愛ないものである。レビュー・スターのジェリー(アステア)がモデルのデール(ジンジャー・ロジャース)にひとめ惚れする。ともに踊ったりしているうち、彼女もおなじ気もちになっていくが、ジェリーを親友の夫だと思いこんで身を引こうとする……という内容。

 もちろん最後は誤解が解けてハッピーエンドになるものの、それはほぼどうでもよい。こればかりは観ていただくしかないが、「チーク・トゥ・チーク(Cheek to Cheek)」「イズント・ディス・ア・ラブリー・デイ?(Isn't This a Lovely Day?)」「ザ・ピッコリーノ(The Piccolino)」といった名曲が目白押しで、アステアとロジャースの黄金コンビは息を呑むほど素晴らしいダンスを披露してくれる。

 アステアのタップ・ダンスは神がかっているというほかないもので、異論のある人はまずいないと思うが、歌のほうに言及される機会は意外と少ない。朗々と唄い上げるタイプでなく、いっけん鼻歌でも口ずさんでいるように見えるせいだろう。が、私は「トップ・ハット」の開幕そうそうに歌われる「ノー・ストリングス(No Strings)」という曲が好きで、これでアステアに魅了された。

 ホテルの一室。独身を謳歌しているジェリーが、そろそろ結婚してはどうかと友人に勧められる。彼は答えにかえ、「ぼくには何のしがらみもない(ノー・ストリングス)、枷もない。すばらしく自由なのさ」と歌い、心のおもむくままタップを踏む。その階下がヒロインの部屋で、苦情を言いに現れたのが出会いとなる。

 歌いはじめるのも踊りだすのも驚くほど自然で、力みというものをまるで感じさせない。これが一貫して彼の芸風であり、洗練の極みといっていい。「アステアは帽子掛けとさえ踊れる」というジョークがあったらしいが、「恋愛準決勝戦」(1951)では、何とこれを実践してみせた。それも、ごくすんなりと楽しげに。ただの帽子掛けが女優のように色っぽく見えたものだ。

 私は基本的に、泣くという行為から縁遠い人間だが、アステアが軽やかに歌い、踊るさまを目のあたりにすると、知らぬ間に涙ぐんでいることがある。いかに自分がふだん、地球の重さにひしがれているかという証左だろう、「このひとなら、重力を断ち切って、空を飛べるかもしれない」と思えてくるのだ。むろん、その軽みが尋常ならざる修練の結果であるこというまでもないが、彼の芸がそう感じさせる域に達しているのは間違いない。人類でただひとりの飛べるひと、それが私にとってのフレッド・アステアである。