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三島由紀夫、ヨーロッパで新たな脚光 混迷の21世紀をより深く生きる「力」に 井上隆史さん寄稿

パリのイメージ・フォーラムで開催された三島由紀夫をめぐるトークイベントに参加した笈田ヨシさん(右から2人目)と筆者(同4人目)

 ヨーロッパで新たな三島由紀夫ブームが起きている。地球人になりすました宇宙人同士の闘いを描く『美しい星』がはじめて英訳され、依頼を受けて危険な仕事を請け負う青年がアジアを舞台とする巨大犯罪に巻き込まれてゆく『命売ります』もここ数年でフランス語、英語、イタリア語に相次いで訳された。それらは、切腹した現代のサムライという紋切り型の三島像に収まりきらない前衛的なSF小説、あるいはスパイ小説のパロディとして、新鮮な驚きをもって迎えられている。

 パリ中心地の文化施設イメージ・フォーラム(Forum des images)では、昨年10月から今月15日まで「日本・ミシマ・そして私」(Le Japon, Mishima et moi)が開催されている。

 このイベントの特徴は、第一に『憂国』、『午後の曳航(えいこう)』や『三島由紀夫VS東大全共闘』など三島の原作映画や三島出演作だけでなく、三島が好んだ洋画、戦前・戦後の邦画、現代アニメからデジタルゲームに至るまで様々な映像作品が毎日のように上映、紹介され、文化史の大きな流れの中で三島の存在を体験できるようにプログラムが組まれていることである。

 第二に、先述の『命売ります』のほか『仮面の告白』の新フランス語訳で知られる翻訳家のドミニク・パルメ、『三島の謎』(Mystere Mishima)の著者でナンテール大学哲学教授のティエリー・オケ、またコミック『三島―わが死はわが最高傑作』(Mishima: Ma mort est mon chef-d’oeuvre)の作者らを招いた公開座談会や朗読パフォーマンスなど、ステージと客席を一体化するイベントが多数用意されていることである。昨年12月7日にはパリ在住の俳優・演出家である笈田(おいだ)ヨシが登壇し、私も参加した。

 笈田は現代演劇の巨匠ピーター・ブルックに師事したことで知られるが、それ以前には、文学座で8歳年長の三島の知遇を得ていた。自決の知らせを聞き、「三島さんは『死』をやり遂げたのに、自分はこの世で詰まらないことばかりしている」という苦しみが続いた。だが、三島という本物の「天才」に出会ったおかげで、逆に自分は「凡人」として自分の生き方を貫くしかないと考えることができるようになったという。2020年には、三島の『近代能楽集』の一つである『綾(あや)の鼓』を舞踊家の伊藤郁女(かおり)とのコラボによってダンスシアターとして再創作し好評を得た。

 今の日本を見たら三島は何と言うと思いますかと私が尋ねると、「三島さんはいつも15年先のことを見ていた。だから今の日本について聞かれたら、15年後の日本のことを語るだろう」と笈田は答えた。一瞬、会場が凍りついたように思われたのは、皆の脳裏に、日本と世界の未来像が思い浮かんだために違いない。

 客席とのやり取りでは、安倍(晋三)元首相の保守思想との共通点と相違点も話題になった。言葉と存在、精神と肉体の関係をめぐる思索は三島独自の深さに達しているし、対米関係のあり方についても二人の立場は異なる。私はそう言ったが、ともに憲法9条を批判している事実をどう考えるべきかと問う声があった。文学と政治、文化と軍事を総体として捉えれば、おのずと相違点は明らかになるはずだが、時間の関係もあって、それ以上対話を深めることはできなかった。

 その点は残念だが、それにしてもパリの中心部にこんな濃密な場があるとは! 今、ヨーロッパで三島が読まれているのは、単にその多様性が人々を魅了しているからではない。三島文学には、物事を根底から考え直させる「力」がある。それは、日ごと混迷を深める21世紀をより良く、より深く生きるように私たちを促す「力」でもあることに、皆気づき始めたのだ。=朝日新聞2023年1月11日掲載

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 いのうえ・たかし 1963年生まれ。白百合女子大文学部教授。『三島由紀夫 虚無の光と闇』『暴流(ぼる)の人 三島由紀夫』など著書多数。