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「メタモルフォーゼの哲学」書評 植物も動物もひとつの生の変身

評者: 藤原辰史 / 朝⽇新聞掲載:2023年01月14日
メタモルフォーゼの哲学 著者:エマヌエーレ・コッチャ 出版社:勁草書房 ジャンル:哲学・思想・宗教・心理

ISBN: 9784326154845
発売⽇: 2022/11/01
サイズ: 20cm/211,4p

「メタモルフォーゼの哲学」 [著]エマヌエーレ・コッチャ

 表紙を飾る大小島(おおこじま)真木の挿画が本書の世界観と共震している。植物と動物と人間が、血管や気管や枝や根や骨を想起させる管でつながっている絵である。
 人間は、植物や動物と切り離された存在なのか。そもそも、それぞれの生物は、ただひとつの生の変形であり変身ではないのか。こんな本書の問いもまた、大小島の絵のようにグロテスクなまでに爽快である。
 著者は『植物の生の哲学』で日本に知られた哲学者で、G・アガンベンの弟子。農業学校出身という異色の経歴だけあって、私は彼の本を読むたびに、哲学書というより文学と生物学を混淆(こんこう)させた散文詩のような印象を受ける。
 たとえば、こんな叙述。「わたしたちがみな絶対的に個人的で固有のものと考えるような生は、じつのところ、本質的に匿名的かつ普遍的で、どんな種類の生ける身体にも命を与えることができる」。つまり、自分自身が自分の生を生きていると思っていても、それはこの惑星の生の漂流のひとつを体現しているにすぎない、と言うのである。
 また、「食事とは生をその最も恐ろしい普遍性において熟視すること」だと言う。食べたものは新しい生の一部となる。食は彼の「メタモルフォーゼ」の世界観の要でもある。
 そして最後に彼は「環境」というものは存在しない、という大胆な見方を提示する。生とは人間をぐるりと囲むものではなく、「内から外から貫く何かである」というブラジル先住民の思想家A・クレナッキの言葉を引用し、「わたしたちは自身を取り囲むすべてのものと同じ生を生きている」と述べるのである。
 わたしたちは「環境問題」と名付けられている問題群を自分の外の問題だととらえすぎてはいないだろうか。内なる生の悲鳴や喜悦が外なる生のそれらと接続していると考えれば、もっとスケールの大きな実質的な生の思想を体得できないだろうか。
    ◇
Emanuele Coccia 1976年、イタリア生まれ。仏社会科学高等研究院准教授。著書に『植物の生の哲学』など。