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砂原浩太朗さんの人生を変えた星新一の「ボッコちゃん」

星新一『ボッコちゃん』(新潮文庫)

 作家なら誰しも、人生を変えた本との出会いを経験しているに違いない。ふだん歴史小説や時代小説を書いているから意外かもしれないが、私にとってのそうした本を1冊だけ挙げるなら、『ボッコちゃん』(星新一)ということになる。

 小学2年生ごろのこと、親類の家へ遊びに行って退屈していると、「これでも読んだら」と渡されたのである。ショートショートだから、子どもにも読めると思ったのだろうし、じっさいその通りだった。何の気なしに目を通したが、意外性のあるストーリーと明晰な文体にたちまち魅了される。熱烈な愛読者となり、結果として、エッセイやノンフィクションもふくめ、星氏の著作はほぼすべて読んだ。

 この話をすると、しぜんな成りゆきとして一番好きな作品を聞かれる。ショートショートだけでも1001編以上あるから選ぶのは難しいが、なぜか「程度の問題」という作品を思い浮かべるのが常。やはり、『ボッコちゃん』に収録されているショートショートである。スパイが外国に潜入するが、用心深すぎてまわりから不審がられ、更迭される。後任は打って変わってのんきな男で、あまりに警戒心がないため盗聴されても気づかず……という話。あるいは、子どもごころに人生の真理めいたものを感じたのかもしれない。

 それまでも本は読んでいたが、漫画やテレビとおなじ、いくつかある娯楽のひとつという位置づけだった。星作品を耽読したことで、小説が私のなかで最上の存在となり、作家を志す道へつながってゆく。小学生のころはミステリー作家になりたいと思っていて、「未来の自分」なるお題を出された卒業文集には、江戸川乱歩賞を受賞し、授賞式のゲストに星新一が来てくれるという話を書いた。

 この後、私は歴史・時代小説へ関心を移し、藤沢周平に私淑することとなる。だが、小説へと人生の舵を切り、すべての土台を作ってくれたのは星新一であり、『ボッコちゃん』だといっていい。たった1冊選ぶとしたらこの本、というのはそういうわけである。

 また、星作品の影響は作家のいのちともいうべき文章にまで及んでいる。読者のレビューなどで、拙作に対して「読みやすい」という声をいただくことがある。現在、私の文体から星新一の気配を嗅ぎ取るひとは少ないだろうが、私自身ははっきりとそれを感じている。自分の文章が読みやすいということには、すでに中学生のころ気づいていて、「これは星新一由来だ」と確信した。人格形成期にあの明晰な文章を浴びるほど読んできたのだから、むしろ当然かもしれない。

 中学生以降、星作品を手に取る機会は少なくなった。が、作家デビュー後、歴史・時代小説でありながら、しばしば自分がどんでん返しのような手法を用いていることに気づく。デビュー短編「いのちがけ」からしてそうだし、山本周五郎賞をいただいた『黛家の兄弟』も、逆転につぐ逆転という展開だった。意図したわけでなく、ごく自然に出てきたのである。これもまた、星新一由来に違いない。人生の最初期に耽読した作家というのは、永遠に爪痕を残すものらしい。むろん、そのことを誇らしく思っている。