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俳優をこよなく愛する砂原浩太朗さんの意外な趣味

©GettyImages

 もし来世というものがあるならば、俳優になってみたい。そう思えるほど、この職業に関心がある。自分の肉体を使って他者の人生を表現する、という点では作家と似ているかもしれない。

 はじめて俳優として意識した相手は、おそらく藤岡弘(現・弘、)。「仮面ライダー」(1971~73)で、主役の本郷猛を演じていた。ライダーシリーズの主人公は他もそれぞれに魅力的だったが、幼ごころに演じ手の名が刻まれたのは藤岡のみ。つまり、キャラクターを越えて、俳優としての個性が際立っていたということだろう。その後、大河ドラマ「おんな太閤記」(1981)の織田信長役として再会したときは、じつに嬉しかった。

 とくに長いことファンであり続けたのは、里見浩太朗である。中学生のときは暇な文化部に入っていて、土曜日しか活動がなかったから、平日は毎日3時ごろ帰宅して時代劇の再放送を見ていた。なかでも好きだったのは、「長七郎天下ご免!」。3代将軍家光の甥・松平長七郎(里見)は身分を隠して市井で暮らしているが、葵の御紋をまとって許せぬ悪を斬る。

 水戸黄門青年版のような物語だが、里見の芸には得もいわれぬ気品があって、貴公子役にぴったりだった。こうした空気は努力で身につけられるはずもないから、生得のものなのだろう。すっかりファンとなり、太秦映画村でのサイン会にも行ったし、映像作品はもちろん、長じてからは毎回のように舞台も観た。

 余談だが、私の本名は「浩太郎」。贔屓となったのには、名前が似ているという親近感もあったに違いない。作家デビュー時、字画を見ると「朗」の方がよさそうだったから、一文字だけ変えて筆名にした。奇しくも完全に同じ名前となったわけである。里見も若いころは「浩太郎」という表記だったから、やはり字画を見て変えたのかもしれない。

 さて、いつのころからか、これらスターに留まらず、伸びそうだと感じる俳優を目にすると、名前を脳内にインプットしていく癖がついた。その後ステップアップするのを見て、ひそかな喜びに浸るわけである。失礼な表現になってしまうが、「俳優の先物買い」とでもいうべきか。近ごろでは、趣味を聞かれたとき、これを挙げるようになった。自慢話めいてまことに恐縮ながら、かなりの確率で当たってもいる。

 たとえば近年の大物でいうと、綾野剛。「仮面ライダー555」(2003~04)の怪人役(人間体)でデビューした話は有名だが、私もこの作品を見ていて、彼の存在感に圧倒された。しばらくは目立った活躍のない時期がつづいたものの、4、5年して映画の二番手あたりで見かけるようになる。それからほどなく、連続テレビ小説「カーネーション」(2011~12)でスター俳優の仲間入りを果たした。

 また、かなり劇的な例でいうと、松本まりか。「六番目の小夜子」(2000)で主人公の親友役だったのを目に留めた。ところがその後、ずいぶん長い雌伏期に入る。「ホリデイラブ」(2018)で注目されたときは、じつに18年が経っていた。名前はしっかり記憶していて、とうとう来たかと感慨を覚えたものだ。その後の活躍は、ご存じの通り。

 ときどき誤解されるが、こうしてインプットした俳優のファンになるとは限らないし、むしろそうでないことの方が多い。素材として可能性を感じているというほかなく、まして個人的な女性の好みなどとは無縁である。このことは明言しておいていいだろう。

 ちなみに、いま注目しているのは歌舞伎の女形・中村米吉。2017年に、先ごろ亡くなった中村吉右衛門主演の「伊賀越道中双六」(国立劇場)という舞台で見て、あまりの娘らしいたたずまいに驚愕した。あくまで私の持論だが、女形がほんとうの女性に見える必要はなく、むしろ中性的な雰囲気を漂わせている役者がほとんど。が、本物の女性としか感じられない人が稀にいて、米吉はその数少ないひとりである。興味を覚えた方は、ぜひ劇場に足を運んで確かめていただきたい。

 ひとつ無念をいえば、この原稿は何年か前に書きたかった。米吉は昨年あたりから次々と大きな舞台に抜擢され、すでに半ばブレイクしているからである。もう少し知られていない時点で「買った」証しを残しておきたい、というのは因果な投機家心理だが、それはそれとして、彼のさらなる飛躍を心待ちにしている。