1. HOME
  2. 書評
  3. 「跳ね返りとトラウマ」書評 書くことで心殺さず生き延びる

「跳ね返りとトラウマ」書評 書くことで心殺さず生き延びる

評者: 金原ひとみ / 朝⽇新聞掲載:2023年02月04日
跳ね返りとトラウマ そばにいるあなたも無傷ではない 著者:カミーユ・エマニュエル 出版社:柏書房 ジャンル:ノンフィクション・ルポルタージュ

ISBN: 9784760154944
発売⽇: 2022/12/26
サイズ: 19cm/358p

「跳ね返りとトラウマ」 [著]カミーユ・エマニュエル

 本書の著者は、2015年に起きたシャルリ・エブド襲撃事件で凄惨(せいさん)な現場を目撃、トラウマを抱えた直接被害者である風刺画家の配偶者だ。テーマは「Ricochet(リコシェ)」。この言葉はフランス語で石や弾丸の跳ね返りを意味し、転じて加害行為の直接被害者と身近な関係にある者が被る影響や被害も意味する。
 不眠やパニックを発症する夫、夫と連絡が取れなくなると取り乱し、アルコール依存症になる著者。さらにパリでの生活が難しくなり外国や地方に移住したことにより、彼女は強烈な疎外感に苦しむ。そして「跳ね返りの被害者」という言葉に違和感を抱き、それに代わる言葉を探し始める。
 自分と似た立場にある跳ね返りの被害者たち、心理学者への取材に留(とど)まらず、鳥の社会的行動について科学哲学者に質問し、ニーチェやフーコー、プルーストなどの文学をも持ち出しつつ、ひたすら分析を続ける。
 一つ乗り越えたと思えば新しい問題が降ってくる綱渡りの生活の中で、彼女は書き続ける。「言葉が行為を作るのだ」、本書で記された哲学者ジョン・オースティンの考えだ。言葉とは事実を伝えるためだけのものではない。言葉それ自体が行為であり得、人を解放したり、魔術的な力を与えたり、現実を遮断し己を守ってくれたりする。書くことは命綱だったという著者の言葉が、こうして書評を書く私にも染みる。書いても、テロには勝てない。大震災や交通事故にも勝てない。しかし書くことは、勝ち負けという概念から人々を解き放つことができる。
 本書は特殊な立場に置かれ、自らの特殊性に苦しむ著者によって書かれたが、この特殊さは決して私たちと無関係ではない。人間とは無力な生き物で、圧倒的な脅威がこの世に存在すると知る全ての人に、書き続ける他なく完成された本書は、困難や脅威と共存しながら完全には心を殺さずに生き延びるためのヒントを与えてくれるだろう。
    ◇
Camille Emmanuelle 1980年生まれ。フェミニズムなどをテーマにする作家、ジャーナリスト。