ベトナムで生まれ、カナダに渡った作家キム・チュイさんが来日した。6日には東京都港区のカナダ大使館で開かれたトークイベント「多様性の時代を描く作家たち」に参加。中国出身の楊逸(ヤンイー)さん、移民を描いた作品のある中島京子さんと語り合った。
キムさんは1968年、サイゴン生まれ。サイゴン陥落後に難民となり、10歳でカナダへ移民した。デビュー作「小川」(山出裕子訳)はボートピープルとして海を渡る少女を描いた自伝的小説。壮絶な体験が作品の底には流れているが、本人はとびきり明るくておちゃめ。冗談を交えながら、多民社会への希望を語った。
キムさんは金魚を例にこう語った。英語では「黄金の魚」が、フランス語では「赤い魚」になる。同じ金魚がなぜ違う色に見えるのか。
「見る角度が違うからです。誰でも自分が正しいと主張したくなりますが、みんな正しい。そこで問うべきは、なぜ同じものが違って見えるか。そこから対話が生まれ深い理解につながります」
「移民を受け入れることは選択肢を増やし、社会が柔軟になる」とキムさんは強調した。
イベントの後半では、楊逸さんと中島京子さんが壇上に加わった。楊さんは64年ハルビン生まれ、87年に留学生として来日した。芥川賞を受けた「時が滲(にじ)む朝」など日本語で小説を書いている。中島さんも64年生まれ。長編「やさしい猫」で入管行政に翻弄(ほんろう)される家族を描いた。モデレーターはカナダ文学研究者の佐藤アヤ子さん。
1月に邦訳が出たキムさんの「満ち足りた人生」(関未玲訳、彩流社)は、料理がテーマ。「食べ物の描写がとてもおいしそうでした」と中島さん。食と小説の関係を中島さんが尋ねると、「私の親をはじめ、ベトナム人は食べ物を通じて愛情を表現します。食べ物は記憶をさかのぼることも可能にしてくれる」とキムさんは答えた。
楊さんは「私が中国で暮らしていたところも、キムさんがいたマレーシアの難民キャンプのようにひどかった」。カナダに移住したキムさんの驚きに共感するという。「来日して自動販売機や立ち食いカレーに感動しました。私が中国を懐かしんだのは数年だけ。キムさんは幼い頃にベトナムを離れたのに、ベトナム人としてのアイデンティティーが大きいことが不思議に思いました」
「カナダで暮らしていると、どちらかを選べという無理強いはされません」とキムさん。「ベトナムの文化は今も私の中で育まれているし、ケベックの文化も学び続けている。カナダは私の皮膚で、ベトナムは私に流れている血です」
「異国から来た人にどう接すると良いでしょうか」と中島さんが問うと、キムさんはケベックの町グランビーに到着した時の思い出を語った。
「バスから降りると、背の高い巨人のような人々に囲まれて、おとぎ話の世界にいるように感じました」。髪も洋服も汚れているのに、ためらいなく抱きしめられた。小さかったキムさんは足が地面から浮いたことを覚えているそうだ。「収容所では鏡を長く見ていませんでした。グランビーで鏡を見たら自分がとても美しかった。鏡に映っていたのは、温かく受け入れられた自分の姿だったから。寛容な温かい心で見る、そのまなざしだけで十分なのです」(中村真理子)=朝日新聞2023年2月15日掲載