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天下の奇書「サラゴサ手稿」に誘われ、活字の迷宮を探検する

心地よい混乱まねく複雑な入れ子構造

 奇書として名高い『サラゴサ手稿』(畑浩一郎訳、岩波文庫)がついに全訳された。『サラゴサ手稿』はポーランドの大貴族で、古代スラヴ民族の歴史研究などの専門家だったヤン・ポトツキが、19世紀初頭にフランス語で公刊した長編小説だ。

 フランス軍将校としてサラゴサ攻囲戦に参加した〈私〉は、ある家で数冊のノートを発見する。そこにスペイン語で書き付けられていた奇想天外な物語を、フランス語に訳したのが『サラゴサ手稿』の本編である。

 衛兵隊長の任を拝命するため首都マドリードを目指していた青年・アルフォンソは、奇怪な噂がつきまとうシエラ・モレナ山脈に足を踏み入れる。うち捨てられた旅籠に宿泊することになった彼はムーア人の姉妹と出会い、イスラームのとある一派に関わる昔話を聞かされるが、目を覚ますとそこは絞首台の下で、盗賊の死体に挟まれて横たわっていたのだった。

 その後、アルフォンソは多くの人々と出会い、さまざまな物語に耳を傾ける。『サラゴサ手稿』はアルフォンソが聞き手を務めた61日間の物語をオムニバス形式で収録した、いわゆる枠物語の形式をとっている。ややこしいのは語りの中でさらに別人の語りが始まり、その中でまた別人の語りが……といった具合に、何重もの入れ子構造になっていること。無限に枝葉を広げていくエピソードが、読者を心地よい混乱に誘う。

 その内容はといえば、怪異譚あり、ロマンスあり、悪漢小説ありでなんとも多彩。女性に扮して副王に嫁ぐことになったジプシーの族長、世界のあらゆる知識を書き記そうとする学者など登場人物も個性的で、飽きるということがない。しかも邦訳版で1000ページを超す長大な物語は、最終的にアルフォンソの出自の問題へとつながっていき、見事に大団円を迎えるのだ。よくもまあこれだけの内容と長さを備えた物語を、ひとりの作家が書ききったものだと感心してしまう。

 既訳(1980年刊の工藤幸雄訳)で初めてこの小説に触れた際には、不条理で錯綜した怪奇幻想譚だという印象を抱いたが、最新の研究成果をもとにした全訳版でイメージは大きく変わった。ポトツキの筆致に暗くじめじめしたところは一切なく、複雑を極める物語はあくまで明るく軽妙なのだ。今回の岩波文庫版は訳者による解説、関連地図、人物一覧、物語全体の見取り図などが付された“安心設計”で、迷子になることなく出口を目指すことができる。

切実なテーマとかみ合い、暗い迷宮をさまようようなミステリー

 カトリオナ・ウォード『ニードレス通りの果ての家』(中谷友紀子訳、早川書房)は、スティーヴン・キングらホラー界の巨匠にも絶賛された話題作の邦訳。

 寂れた家が建ち並ぶニードレス通りの一軒家に、娘のローレン、飼い猫のオリヴィアと暮らすテッド・バナーマン。不審な出来事に悩まされる彼は、母親の持ち物だったテープレコーダーに声を吹き込んでいく。11年前に行方不明となった妹を探し続けているディーは、当時容疑者だったテッドにいまも疑いの目を向けていた。

 精神的に不安定で時間の感覚がおかしくなるテッド、ニードレス通りに引っ越してきたディー、そして聖書の言葉を引用する猫のオリヴィア。複数の語りが重なり合い、テッドの家に隠されたある秘密を明らかにしていく。

 物語開始早々、読者はテッドの独白にいくつもの違和感を抱くはずだが、それが何を意味しているかは後半になるまで見えてこない。たとえるなら真っ暗な迷宮を、かぼそい明かりを頼りに歩き回るようなもの。その出口はどこにあるのか。気鋭ウォードは巧緻な語りのテクニックを駆使して、思いも寄らないところに迷宮の脱出口を準備している。この手のミステリやホラーに親しんでいる人ほど著者の企みにひっかかり、ラストで驚愕の声をあげるはずだ。切実なテーマと物語の構造ががっちりかみ合った佳品だ。

伝説の幻想作家の初エッセー集

 山尾悠子『迷宮遊覧飛行』(国書刊行会)は、著者初のエッセイ集。「迷宮的作家山尾悠子の足跡を辿る500頁!!」と本の帯文にあるとおり、デビュー間もない20代から今日までさまざまな媒体に発表されたエッセイをほぼすべて収録したファン必携の書だ。

 自作解説、回想、単行本未収録だった掌編などいずれも興味深いが、とりわけ懐かしい本についての思い出を綴った書き下ろし「読書遍歴のこと」が素晴らしい。海外少女小説を愛読した子ども時代、詩の暗唱に凝ったという中学時代、「手当たり次第に大量に」読んでいた1970年代。稀代の幻想作家のルーツが明かされていくこの章だけで、十二分に“元は取った”という気がする。

 泉鏡花、澁澤龍彦、倉橋由美子、赤江瀑など、偏愛してやまない作家に関する文章も読み応えあり。読解の深さや鋭さもさることながら、文体の力のみを頼りに、非現実の世界を作り上げてきた先人たちへの共感が胸を打つ。『飛ぶ孔雀』『山の人魚と虚ろの王』などの達成の背後には、内外の幻想文学の森が広がっているのだ。

 一方で、「円盤化」「パリピ」など普段の小説ではまずお目にかかれない言葉を用いた、くつろいだ語り口も楽しい。伝説の作家のチャーミングなお人柄に触れられる貴重な一冊でもあった。内容はもちろん装丁や紙の質も最高なので、事情の許す方はぜひ紙の本で手に入れてほしい。