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「小さな芸術」書評 美のある暮らしへの渇望を呼ぶ

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2023年02月25日
小さな芸術 (社会・芸術論集) 著者:ウィリアム・モリス 出版社:月曜社 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784865031515
発売⽇: 2022/11/15
サイズ: 20cm/389p

「小さな芸術」 [著]ウィリアム・モリス

 「小さな芸術(レッサー・アーツ)」とはなにか。歴史に名を残す絵画や彫刻、建築(グレーター・アーツ)に対し、名もなき職人芸、生活の美、つまりは民衆芸術のことを指す。だが、なぜ「小ささ」が強調されるのだろう。産業革命以降の生活と美意識の激変が、両者の関係を無残に破壊したからだ。民衆が日々の暮らしと労働とを美しく生きられることなく、芸術は成り立たない。盛況に見えるなら、芸術がたんなる贅沢(ぜいたく)品にすり替わり、金持ちの慰撫(いぶ)に成り下がったからだ。真の意味での芸術の復興のためには、この「小ささ」の復興が絶対に欠かせない。
 強い信念に支えられたモリスの口調は、たいへん理想主義的だ。が、裏腹に随所で攻撃的な性質をはらむ。具体的には「そうした贅沢品のせいでわれわれの家はがらくたで一杯になって芸術は息もつまらんばかりになり」「新しい建設の始まりが明らかになるまでは、せめて偽の芸術の破壊に専念」といった箇所に見て取れる。使命の実現が困難なら当然かもしれない。
 頭が痛いのは、この文章を書いている机の周囲を見渡しただけで、「贅沢品」「がらくた」「偽の芸術」で溢(あふ)れかえり、まさに息もつまらんばかりになっているからだ。誰もが「機械的労苦の大洪水」のなかで「心身両面のあらゆる奴隷制」の餌食になっているなら、なおさらだ。この点でモリスの言葉は古びていないどころか、いっそうの迫真を帯びる。が、このような状況で、かつてモリスが力説した理想へと向けて、たとえ一歩でも踏み出すことができるのだろうか。
 それでも希望を持つのは、本書を読むと自分のなかに、モリスの言う暮らしを取り戻したい、という強い渇望が呼び覚まされるからだ。人が人らしく生きるところに美があるべきというなら、それはもはや理想などではない。実はささやかで、あたりまえのことなのだ。ゆえにモリスはそれを「小さな」と呼んだのかもしれない。
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William Morris 1834~96。英国出身。アーツ・アンド・クラフツ運動を主導。織物や壁紙のデザインで知られる。