「ふつう」って何だろう。小説家、吉川トリコさんの新刊『あわのまにまに』(KADOKAWA)は、ある一族にまつわる様々な恋愛模様を、時をさかのぼる「逆クロニクル」構成で描いた連作短編集。時代相を味わいつつ読み終えたとたん、前のページに手が戻る「読み返し必至」の物語になっている。
「様々な愛のかたちを、時代の移り変わりのなかで描いてみたかった」という物語は6話構成。近未来の2029年の第1話から1979年へ、10年刻みでさかのぼっていく。
執筆の基点となったのは99年の第4話。大学生の杏一郎(きょういちろう)は幼なじみの短大生、いのりが心配でならない。突然、海の家でバイトするというので一緒に働くことに。経営者は、いのりの亡父の教え子だったという年上の男。2人の間には何か秘密があるような……。
この時代は77年生まれの吉川さんにとって「まさに青春期」。作中には、恐怖の大王、Gショック、ドラゴンアッシュといった固有名がちりばめられ、バイト先の男子寮の「女子話」は今どきSNSで拡散したら、炎上間違いなしの浮かれっぷりだ。
1話ごとに変わる語り手の視野に、常にいのりはいる。どこか「ふつう」ではない少女として娘として母として。ただし彼女の一代記ではない。バブル最盛期の89年、ファストファッションが定着した09年、コロナ禍直前の19年――いのりの血縁に連なる人々は、時代ごとの価値観のなか、結婚や出産、片恋や同性への思いに悩む。半世紀のスパンで眺めてみて、恋愛をめぐる社会の変化を感じられたのだろうか。
「70年代にフェミニズムによる性の解放があり、80年代には男女雇用機会均等法があった。私の祖母や母親の世代にも若いころにとんがっていた人がいて、時代の価値観への反抗心があったはず。なのに今でもふつうに異性婚が強く推奨されている。同性婚が法制化されていると思って近未来から始めたのに、全然変わりそうにもないですね」
変わらないといえば、狂おしいほどに人を恋する気持ちもそう。好きな人とずっと一緒にいるために登場人物たちがとる行動は、はたからみれば喜劇であり悲劇であり、ときに恐怖心さえ呼び起こす。そして、10年刻みで浮かび上がる「あわ」の間に何があったのか、書かれていない物語を自然と想像してしまう。
「読者に想像力をゆだねる物語が昔から好きなんです。小説としての格があがるような気がして。雑誌連載当初は意識していなかったのですが、どこまで書くか書かないか、すごく気をつけないといけない作品なんだと途中で気づいた」
この物語はなぜ「逆クロニクル」で書かれたのか、時の「まにまに」何があったのか。読了後、想像するだけで、怖く、せつない。(野波健祐)=朝日新聞2023年3月15日掲載