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「不快な夕闇」書評 不穏な物語に宿る清冽な美しさ

評者: 小澤英実 / 朝⽇新聞掲載:2023年04月08日
不快な夕闇 著者: 出版社:早川書房 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784152102119
発売⽇: 2023/02/21
サイズ: 19cm/350p

「不快な夕闇」 [著]マリーケ・ルカス・ライネフェルト

 小説をたくさん読むうちに、「何を読んでも何かを思い出す」ふうの既視感を抱く機会も増えてくる。だが国際ブッカー賞を最年少で受賞したこのデビュー長篇(ちょうへん)には、新しい表現に出会えた驚きにしばし陶然とさせられた。とはいえ、オランダの小さな村で酪農を営む一家がじわじわと崩壊していく過程を描くこの物語は、タイトルのとおり昏(くら)く不穏だ。
 敬虔(けいけん)な改革派プロテスタントの両親のもと、4人の兄妹で暮らす10歳の少女ヤス。死ねばいいのにと軽い気持ちで神に祈った長兄が本当に湖で溺死(できし)してしまう。だが一家はその悼み方がわからない。赤いジャケットを脱がずその下のへそに画鋲(がびょう)を刺しっぱなしにするヤス。食事を摂(と)らず痩せ細っていく母親。ハムスターを弄(もてあそ)んで殺す次兄のオブ。喪失という穴が生み出すその暗闇に一家は呑(の)み込まれ、聖書の言葉はある種の呪いのように子どもたちに降りかかる。性の目覚めと死の恐怖は渾然(こんぜん)一体となって、彼女たちだけの奇妙な儀式に発展していく。
 目をみはるのは、ヤスの世界では動物たちの生態と人間の生がまるで区別されていないことだ。便秘のヤスは父親に肛門(こうもん)に指を突っ込まれる。ヤスは動物の交尾と同じように両親の性交を望む。あっけなく無惨(むざん)に殺されていく病んだ動物たちのちっぽけな壊れやすい命。それはホロコーストを彷彿(ほうふつ)とさせる「剝(む)き出しの生」だ。本書はそこに、「迷える子羊」たる人間と動物のアレゴリカルな二重性をかけあわせている。
 詩人でもある著者の紡ぐ、注意深く世界を観察するヤスの言葉、その美しい鋭さにはっとする。糞尿(ふんにょう)や体液にまみれた描写の中から立ち上がるのは、異形の美とも聖性とも異なる、ある清冽(せいれつ)な美しさだ――たとえば、生けるものにひとしく訪れる、死後の静謐(せいひつ)な暗闇のような。本書の真価は後半から。ドライブがかかるまではゆっくり読み進めてみてほしい。
    ◇
Marieke Lucas Rijneveld 1991年生まれ。オランダの作家、詩人。2020年に本書英訳版で国際ブッカー賞。