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イラク戦争20年 大国介入の過ち、教訓どこに 千葉大学教授・酒井啓子

日米首脳会談を前に、握手する小泉純一郎首相とブッシュ米大統領=2002年9月、米ニューヨーク

 イラク戦争から20年。43日間の(ブッシュ米元大統領が宣言した)「主要な戦闘」終了後も、1年2か月の占領統治、8年8か月の米軍駐留、その後IS対策として7年半の再駐留と、米国と国際社会にとって戦後のイラクは、桎梏(しっこく)であり続けた。
 最初のイラク駐留中に死亡した米兵は、今年4月の米国防総省発表では4431人、駐留米軍に雇用された民間企業の死者は、米紙報道によると2012年時点で1569人だ。米以外の外国軍の死者は、英軍179人を含め全部で317人。日本は、外交官2人を含む6人の命が失われた。
 イラク国内では、過去20年間で20万人前後の民間人が命を落とした。06年半ばまでに65万人以上が死亡した、との医療専門誌の推計もある。

戦後も続く暴力

 戦後もイラクの人々は内戦(06~07年)、ISの暴虐(14~18年)に苦しんだ。A・サアダーウィーの小説『バグダードのフランケンシュタイン』は、内戦前夜の殺伐とした首都の生活を描く。ISの最大の被害者といえるヤズディ教徒の女性、ナディア・ムラドの「THE LAST GIRL イスラム国に囚(とら)われ、闘い続ける女性の物語」(吉井智津訳、東洋館出版社・1980円)も、生々しい暴力の実態を描いた手記だ。
 これだけの被害、戦後の混乱を生んだイラク戦争は、なぜ起きたのか、目的は果たされたのか。失敗があったとすれば、それはどう反省されているのか。
 当時を振り返ろうとして、愕然(がくぜん)とした。開戦前後、膨大な数の本や特集号が出版され、多くの議論がなされたのに、そのほとんどが絶版、品切れである(僭越〈せんえつ〉ながら拙著も同様だ)。
 なかでも、イラク戦争にかかわった国内外の人々のインタビューをビビッドに記録した『55人が語るイラク戦争 9・11後の世界を生きる』(松本一弥著、岩波書店・品切れ)が読めないのは、実に残念だ。10年7月から2か月、朝日新聞に連載された記事が元になっている。
 同書が求めるのが、日本のイラク戦争の検証である。英国ではチルコット報告書が16年に発表され、参戦は間違いだったと結論づけた。米上院は3月、20年前のイラク戦争承認決議を撤回する法案を可決した。

日本の検証は?

 だが、日本はイラク戦争への関わりをどう総括しているのか。04年から2年間の陸上自衛隊のサマーワ派兵は、正しい判断だったのか、何を残したのか。小泉政権下で内閣官房副長官補の立場で自衛隊派兵決定の中核にいた柳澤協二の『検証 官邸のイラク戦争』は、当時の官邸の議論を記録した数少ない書物のひとつである。政治の間違った判断、情報不足で自衛隊を間違った戦争に駆り出していいのかという柳澤の自問は、今こそ深く反芻(はんすう)されるべきだろう。
 イラク戦争は日本の安全保障にとって重要な転機だったが、日本の立場を超えてイラクの現実に直接向き合い続ける人々がいる。09年、現地で活動するジャーナリストやNGOなどを中心に、「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」が結成された。昨年まとめられたのが『イラク戦争を知らない君たちへ』だ。
 そのなかに、04年4月にイラクで拉致された経験を持つ高遠菜穂子がいる。治安の悪い戦後イラクでの民間人の活動は、厳しく制限され、イラク入りした彼女たちは、激しいバッシングを受けた。この時提起された「自己責任論」の問題もまた、日本社会のなかで消化不良のまま、普通の人々の対イラク民間外交に影を落としている。
 大国の他国への軍事介入、現状変更の問題は、今ウクライナで起きていることだ。イラク戦争から学んだ教訓は、そこで活(い)かされているだろうか。=朝日新聞2023年4月8日掲載