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ハンセン病患者たちが詩に込めた生への希望 大江満雄編の詩集「いのちの芽」無料配布で復刊

長島愛生園を訪れ、詩人たちと並ぶ大江満雄(中央)=長島愛生園提供

 1953年、詩集「いのちの芽」は世に送り出された。73人の227作品からなるアンソロジー。それは、これまで差別と偏見により社会の隅に追いやられてきた人々が、詩人として産声を上げた瞬間でもあった。

 生みの親は、大江満雄。高知県に生まれ、10代で父とともに上京後、詩誌「詩と人生」に加わった。戦後はキリスト教者としての活動に注力し、ユネスコの平和運動などに身を捧げた。50年代からハンセン病患者たちと深く交わるようになった。

 大江は多磨全生園(東京)や栗生楽泉園(群馬)など、全国8カ所のハンセン病療養所にいる書き手たちに詩の執筆を呼びかけた。「今日のハンゼン氏病の詩人たちには悲惨な中にも『生の中の生』、もっとも人間らしいもの、希望がある」。詩集の発刊にあたり、大江はそう文章を寄せている。

 大江の言葉にたがわず、それぞれの作品には鮮やかな詩情が躍る。

 《僕は、地べたを這(は)い 赫土の香気をかぐ。/ときどき空をみる。 鬼瓦よ。/地上に僕という小さな呪咀(じゅそ)者がいるのだ。 おまえの顔もすごいな。》(谺〈こだま〉雄二「鬼瓦よ」から)

 《手は汚れていた。 けれど 水は ――澄みきった深さ しびれるほどの 生命の波紋で美しかった。》(志樹逸馬「水」から)

 参加者の大半が、当時20代から30代。そして、谺がハンセン病患者たちへの人権侵害に対する闘争に身を投じていったように、単なる文芸活動にとどまらない影響を、大江はもたらした。

 だが、大江の名前はいつしか忘れ去られ、「いのちの芽」も絶版となって、長い月日が経った。

ハンセン病患者の詩集が70年経て復活、企画展

企画展の会場では、大江満雄や「いのちの芽」参加者たちの直筆書簡などが展示されている=国立ハンセン病資料館

 2月上旬、東京都東村山市の国立ハンセン病資料館。そこでは、新装された「いのちの芽」が来場者に手渡された。発刊から70年を迎え、この詩集をテーマにした同館初の企画展が幕を開けた。

 企画を率いたのは、同館学芸員の木村哲也さん。大江と面識もあった木村さんは以前、「いのちの芽」に加わった詩人たちの晩年を訪ね、「来者の群像」(2017年、編集室水平線)を著した。

 会場には、詩集から抜き出した25編の写しなどが展示されている。「この詩集から、訪れた人それぞれが、自分にとって大事な言葉をすくい取ってくれるとうれしい」と木村さんは話した。

限定復刊された「いのちの芽」

 この詩集がいま再び光を浴びることには、とても大きな意義がある――。批評家の若松英輔さんは、そう力を込める。若松さんは「新編 志樹逸馬詩集」(19年、亜紀書房)を編集するなど、ハンセン病の詩人たちを、自身の著書や講演会を通じて紹介してきた。「『いのちの芽』を通じて分かるのは、誰しもが言葉と真剣に向き合うなかで、本当の意味での詩人に変貌(へんぼう)し得るのだということ。詩は困難や危機をすくい取る力を持つのであり、コロナ禍やウクライナ侵攻といった様々な危機に囲まれている私たちに対しても、人間の強さとは何かを、彼らの詩は示してくれる」と若松さんは言う。

    ◇

 企画展「ハンセン病文学の新生面 『いのちの芽』の詩人たち」は国立ハンセン病資料館で5月7日まで開かれている。新版「いのちの芽」の一般販売はなく、来場した希望者に無料配布(数に限りあり)。詳細は同館(042・396・2909)。(山本悠理)=朝日新聞2023年4月12日掲載