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見田宗介さん没後1年、人類の未来を見据えた現代社会論 シンポ白熱、復刊書も話題

 4月、見田が勤務した東京大学駒場キャンパスで、シンポジウム「見田宗介/真木悠介を継承する」が開かれた。故人の提唱した「越境する知」そのままに、他分野の研究者や演劇人、元編集者ら多彩な顔ぶれの19人が登壇した。

シンポで実践「越境する知」 白熱議論

論理的に、時に熱も帯びて。専門の枠を超え幅広い世代が意見を交わした=4月8日、東京都目黒区の東京大学駒場キャンパス

 見田は1960年代から近現代日本の社会意識を分析して注目された。全共闘との対話を通じて生まれた筆名(真木)を使い、インドや中南米の旅の後に書いた「気流の鳴る音」(77年)で大きな反響を得ると、比較社会学へ重心を移す。グローバリズムが進む90年代後半からは、環境問題や資本主義のゆくえなど人類全体の未来を視座に、現代社会論に力を注いだ。

 実行委員の社会学者・大澤真幸さんはそれらが「人間の解放」の思想として貫かれ、「根をもつこと」「翼をもつこと」という二つの根源的な欲求を働かせたものだと指摘した。次いで後進の研究者らが若者、情報化・消費社会、コミューン、死とニヒリズムなど、テーマごとに解説を試み、縦横に論評を加えた。

 異色は文化人類学者・今福龍太さんの音楽と映像をまじえた語りだ。ともに共鳴した宮沢賢治の作品にちなみ、白いマグノリアの花が舞台に飾られた。真木作品に表れる受動態、たとえば「出会われる出会い」とは、向こうからやってくる偶然の来訪的な出会いのことで、真木の思想の一つの表れだと、今福さん。自分が何者かによって創られると信じさえすれば、「自我というくびきから人間はやわらかく解放されます」。

 もっとも、登壇者からは見田/真木への敬意と同時に、異論も出された。権力関係の記述がない。テロが世界を脅かす現代から、どうみるか。閉塞(へいそく)感が広がる時代、今ここを超える実感が持てない若い世代のリアリティーを考える必要がある。家族など親密な「交響圏」が暴力の温床になる危うさは……。理論と現実の「あいだ」で私たちがどう向き合い、生きるのかが問われた。

 若手も発言した。「東大闘争の語り」の著者、小杉亮子さんは、切迫した社会課題に対し法改正などの手段を見田がどう考えていたか知りたかったと述べた。

 約250人の聴衆は、のべ8時間半にも及んだ議論を最後まで熱心に見守った。

論壇の可能性広げた著作 復刊

 他方、シンポに先立つ2月には、85年から2年間、本紙に連載された「論壇時評」を収録する「白いお城と花咲く野原」が河出書房新社から復刊され、話題を集めている。

 見田は総合誌以外の雑誌や小説、詩も俎上(そじょう)にのせ、大衆社会、資本主義、原発、家族など現在なお喫緊であり続ける課題を掘り下げた。フェミニズムをめぐる吉本隆明と上野千鶴子さんの対談では、矛盾する「〈実感〉を信じつつ相対化する」大切さを説いた。大衆消費社会の評価の違いが浮上した埴谷雄高と吉本のいわゆる「コム・デ・ギャルソン論争」では、先進国の生活者・大衆が他地域の収奪なしにいかに自立しうるか、という普遍的な問いとして示した。

 自身も交流があった左派系メディアについても、「良心的であることに居座って安住するかぎりそれはひとつの非良心」とくぎをさす。まだ左右のイデオロギーが強い時代、忖度(そんたく)なく明晰(めいせき)な思考を展開させていく姿勢に、言論空間の可能性をみた読者は少なくなかっただろう。

 言葉の「届かなさ」にもふれている。世界で分断が進む今こそ、現代社会の光と闇をみつめ、それを乗り越える「深い/明るさ」と「共通のことば」を探究した著作を読み直す意味は増しているように思う。(藤生京子)=朝日新聞2023年5月10日掲載