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古処誠二の収穫「敵前の森で」 日本が歴史に残した汚点から目を背けず描く公平さ 書評家・杉江松恋「日出る処のニューヒット」(第2回)

©GettyImages

第二次世界大戦末期、インパール作戦での戦犯容疑

 なんで古処誠二はまだ直木賞を獲ってないんだろう。
 新刊を読むたび、不思議に思う。
 これほど筆力のある作家が受賞していないことは残念極まりないことだ。
 もちろん、残念なのは直木賞の側である。古処誠二に贈賞していないのに、日本を代表する文学賞って名乗っていいのかしらん。

 新刊『敵前の森で』(双葉社)の舞台となるのは第二次世界大戦末期のビルマ、現ミャンマーである。大戦前の同地はイギリスに植民地として支配されていたが、1942年に日本軍侵攻によってその体制は崩壊し、翌年にはビルマ国が樹立される。枢軸国側の敗戦によって再びイギリスの統治下に戻り、ビルマ連邦として正式に独立を果たすのは1948年のことである。信仰に篤い仏教徒である同国の人々は動乱の歴史を生きてきた。

 物語は日本軍の敗戦後から始まる。捕虜として英軍の語学将校から尋問を受ける北原信助には戦犯容疑がかけられていた。捕虜の処刑と民間人に対する虐待容疑である。1944年6月、北原は土屋隊の一員としてチンドウィン河を渡ってアラカン山系へと踏み込んだ。任務はインパール作戦における敗軍収容と遅滞戦、つまり撤退のための時間稼ぎである。北原の階級は少尉だが見習士官であり、それまでは後方任務が主で実戦経験はなかった。

 尋問に先だって語学将校は北原に言う。「もしひとつでも偽りを述べたらわたしはあなたを殺します。脅しではありません。必ず殺します」と。北原にかけられた容疑のうち捕虜の処刑とは、日本軍の銃撃によって瀕死の重傷を負ったインド兵に懇願されてとどめを刺したことを指している。もう一つの容疑は、モンテーウィンという少年を土屋隊が兵補として登用したことに端を発するものだ。

 英国からの解放を望むビルマ人の中には進んで日本軍に協力する者があった。モンテーウィンもその一人で、日本人は及びもつかないほどの視力と聴力があり、現地の土地勘があったことから隊に組み入れられたのだ。だが意外なことに、彼は突然逃亡してしまった。北原は、部下の佐々塚兵長の差し金ではないかと疑う。佐々塚は見習士官である北原を軽んじ、しばしば傲慢と見える振る舞いをしていた。だとしてもわからないのは、彼がビルマ人を脱走させた目的である。この後、さらに英国軍支配下にあるインド兵との悶着が起き、北原と佐々塚の間の亀裂が深まる。民間人に対する虐待が疑われているのはこの一件である。

戦争という極限状況のなかで等身大の人間を描く

 誰が、何のために、何をしたのか。これがわからない五里霧中の状態が描かれることで不安が醸成されていく。いわゆるサスペンスの昂ぶりである。視界が遮られればどんな場所でもそうした状況は成立しうるが、戦地はその究極形である。いつ落命してもおかしくないという恐怖が常にあり、各人からは完全に行動の自由が奪われる。束縛の中で限られた情報を元に判断をしなければならないのである。古処の戦争小説はこの極限状況を描くのだ。俯瞰ではない。登場人物たちは自分の背の高さから見える範囲だけで物を考え、行動し、時には突然の死を迎える。等身大の人間を描いた小説と呼ぶしかない。

 本作で綴られるのは日本軍内の出来事だが、同じころに英軍内では何が起きていたかも次第に明らかになっていく。敗戦後に捕虜となった日本兵が視点人物になるのはそのためだ。敵軍同士が向かい合う最前線では、他の場所ではありえないようなことが起き、他では考慮に入れずに済むような可能性を検討する必要が生まれる。北原が尋問を受けることになったのもそのためなのだ。物語の終盤で明らかにされる真相は、戦争というものの性格を浮き彫りにする。他の古処作品と同様、本作で描かれるのもまた戦争がなければ起きなかった事態なのである。追い詰められた人間が露わにする心理の普遍性と、戦場という状況の特殊性、その両方を余すところなく古処は書く。

 戦争小説であると同時にミステリーの要素も兼ね備えており、緊迫感のある展開が素晴らしい。読むべきだろう、これは。そしてできれば直木賞の候補に上げてもらいたい。

直木賞候補に選ばれなかった傑作「いくさの底」

 文学賞の選考には運も必要だと思うが、これまでの古処は直木賞に関して気の毒なほどそれが無かった。初めて名前が挙がったのは2004年下半期の第132回で『七月七日』(集英社文庫)が候補となった。このときの受賞作は角田光代『対岸の彼女』(文春文庫)だ。相手が悪かったという気もする。次は2006年上半期の第135回で『遮断』(新潮社)。三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』と森絵都『風に舞い上がるビニールシート』(共に文春文庫)が獲った。これまた強力である。最後が2007年度下半期の第138回、『敵影』(新潮社)が桜庭一樹『私の男』(文春文庫)に負けた。こうして見ると毎回、それは獲るだろうという強い作家に負けているのがわかる。まあ運だから仕方ない。

 だが不満なのは、以降一度も候補になっていないことだ。決して多作ではないが、着実に書き続けている。2017年8月に刊行された『いくさの底』(角川文庫)は現時点における代表作で、『敵前の森で』と同様に最前線での人間心理を描いた傑作だ。ミステリー的興趣も高かったために多くの支持を集めた。また、第71回毎日学術出版文化賞文化・芸術部門と第71回日本推理作家協会賞長編および連作短篇集部門を同時受賞もしている。なんとこの作品を直木賞は無視したのである。対象となる2017年度下半期の受賞作は最近映画化された門井慶喜『銀河鉄道の父』(講談社文庫)で、その他の候補作は彩瀬まる『くちなし』(文春文庫)、伊吹有喜『彼方の父へ』(実業之日本社文庫)、澤田瞳子『火定』(PHP文芸文庫)、藤崎彩織『ふたご』(文藝春秋)である。今さらながら、ここに『いくさの底』を入れなかったのは予備選考の間違いであったと私は思う。直木賞は惜しいことをした。

 日本が歴史に残してしまった汚点から目を背けず、しかも公平な立場で戦争という題材を描く。それが古処誠二という作家だ。そう、公平なのである。古処が重視しているのは人間を描くという一事で、思想的な偏向を作品に感じたことは一度もない。戦争という場がどういうものか、そこに投げ込まれた人間は何をするか、ということを淡々と書くのみだ。

 近年はさらに、戦争のせいで何が起きたか、逆に言えば戦争がなければ何が起きなかったかということを逆説的に示して、その性質を浮き彫りにするという技法を採っている。おそらくは意識してミステリー色を加え、戦争小説を大衆小説として成立させる。そんな作家は唯一無二である。古処が直木賞を獲っていないという事実が、やはり私には信じられない。