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「憎悪の科学」書評 万人に潜む感情の分岐点を探究

評者: 小澤英実 / 朝⽇新聞掲載:2023年05月27日
憎悪の科学 偏見が暴力に変わるとき 著者: 出版社:河出書房新社 ジャンル:生命科学・生物学

ISBN: 9784309231273
発売⽇: 2023/03/28
サイズ: 20cm/386,26p

「憎悪の科学」 [著]マシュー・ウィリアムズ

 性や人種、感情といった生物学と社会学が交差する領域にあるものを科学的に分析すると聞くと、骨相学や神経神話のたぐいかと警戒する。だが本書は、そんな懸念を吹き飛ばす説得力に満ちた、現代のヘイトクライム(憎悪犯罪)を知るための必読書だ。
 大学卒業時はジャーナリスト志望だった著者は、ヘイトによる暴行を受けたのを機に犯罪学者になることを決意し、いまでは憎悪研究の第一人者に。本書はその20年に及ぶ研究の集大成だ。加害者の心理を理解したいという切実な動機が研究の土台にあり、統計を客観的に分析するにとどまらず、みずから被験者となって脳をスキャンするような当事者研究を含んだアプローチが本書の魅力だ。
 憎悪を司(つかさど)る脳の領域の調査から、加害者の生い立ちを辿(たど)る犯罪心理学的プロファイリング、トランプ前米大統領の差別的なツイートや極右組織の情報操作といったSNS上のヘイトスピーチの分析まで。偏見はどこから生まれ、何がその促進剤となりトリガーとなるのか、人に実際のヘイト行動を起こさせる可能性が、世界中の犯罪事例を交え(相模原市の障害者施設殺傷事件への言及もある)多角的に検分されていて、じつに読み応えがある。
 どうすれば偏見や憎悪を持たないかではなく、それを人間誰しもに不可避な感情だと認めた上で、なぜ加害行為に移す人間と自制できる人間がいるのかという問題設定が秀逸だ。さらに、豊富に引用されるヘイトの先行研究の成果も完璧ではなく、現実世界の不完全な描写にすぎないことを意識した慎重な記述がされている点にも信用がおける。
 私の授業で同性愛者への偏見や差別について触れたとき、ある学生が「なぜ人は人と放っておけないのだろう」と訝(いぶか)った。ヘイターを理解不能な他者と排除してしまうのではなく、ありえた自分かもしれないと思えること。その重要性を、本書はよく伝えている。
    ◇
Mattew Williams 英カーディフ大教授。ヘイトクライムを研究。「ヘイトラボ」を創設、所長を務める。