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西加奈子さん、初のノンフィクション「くもをさがす」 乳がん闘病で得た「私は私という確信」

西加奈子さん

 西加奈子さん初のノンフィクション「くもをさがす」(河出書房新社)は、語学留学先のカナダで自身に乳がんが見つかってから寛解するまでの8カ月を中心につづる。治療の記録であるとともに、言葉によって自分をつかみ直した記録でもある。

 家族といっしょにカナダに渡った西さんは、2021年5月、胸にしこりを見つける。検査の結果は、ステージ2Bの浸潤性乳管がん。宣告を受けてから日記をつけ始めた。ほぼ同時に本作も書き始めていた。抗がん剤治療による体の変化、カナダの医療体制の下で思い通りにならない出来事や不安に直面し、涙を流した経験も正直に明かす。

 書き始めたのは、「こんな状況ないぞ」という作家の性(さが)に突き動かされたから。自分を救うためでもあった。「日記には、『しんどい』としか書いていない日が何日もある。でも、そこにはもっと複雑な思いがあったはず。書くことで『しんどい』だけではない感情を取り戻していった」と西さんは話す。

 試練の時期を書きながらも、一冊を貫くのは悲壮感ではない。カナダで出会った女性医師の言葉は関西弁に訳され、明るい雰囲気を作り出している。「彼女たちの言葉が、大阪のおばちゃんの声で再生されたんです」。カラッとした力強さが、心地よかった。「がん患者に対しても、風邪引いたんかな?くらいのテンションで接してくる。かわいそうな患者として扱われたことが一回もなかった」

 西さんのがんは右胸だが、転移や再発の可能性が高い変異遺伝子を持っているため、手術で両乳房を切除した。乳房の再建はしないと決断するのに迷いはなかった。だが医師から、「将来再建したくなるかもしれない。そのときのために乳首を残しておくこともできる」と言われ、悩んだ。確かに、数年後の自分の気持ちはわからない。

 乳がんサバイバーの担当看護師にそのことを話すと、目を見開いて驚かれた。「乳首って、いる??」。迷いは吹っ切れた。〈私たちはどのような状態であっても、自分自身の身体で生きている。何かを切除したり、何かを足したりしても、その体が自分のものである限り、それは間違いなく本物なのだ〉。「言葉は呪いでもあり、祝福でもある。乳房、乳首の切除は、言葉にすることで祝福できた。自分の体を愛している、と心から思うことができました」

 これまで、社会から押しつけられる価値観に、小説を通して「じゃかましわ!」と言ってきたつもりだった。でも、まだまだ足りなかったと気付いた。「こんなに自分の体がいとおしいと思えたことはなかった。『じゃかましわ!』が大きくなりました」。誰かのジャッジに委ねず、自分で自分を愛する。両乳房を失った西さんが得たのは、私は、私だという確信だ。

 本作には、西さんが闘病中に力をもらった小説や詩、歌詞の一節が随所に盛り込まれている。「出会った本や歌に救われたのは、作品に力を見つける力が私にあったから。読者には力がある。だから私の本に何かを感じ取ってくれる人がいるとしたら、その人に力があるんです」(田中瞳子)=朝日新聞2023年5月31日掲載