【谷原店長のオススメ】児島青「本なら売るほど」 本を起点にひろがる人間ドラマに感銘
街の小さな古書店「十月堂」を営む店主は、ひっつめ髪が印象的な、まだ若き「脱サラ」男。この物語は、彼と本好きの常連客や女子高生、本を売りに来る人々たちとが織りなす連作短編です。古書店といえば、このところ漫画喫茶やネットカフェ、大型買い取りチェーンなどに押されている印象があります。「谷原書店」店主である僕でさえ、電子書籍に頼る場面が増えてきました。でも、そういえば幼い頃、漫画を古書店で買っては読み、読み終えたら売りに行き、そしてまた次の漫画を買って読む、なんてことをしていたなあ。そんなことを思い起こしつつ、読み始めました。
まず、物語は当初、読み切りとして発表されたそうです。それが短期連載になり、さらに長期連載へと発展し、現在、第3巻(第1話~第18話)まで刊行されています。作者の児島青さんは、性別や出身地などのプロフィールが非公表。ただ、ご自身にも古物商の経験があるそうです。だからでしょうか、本をきっかけに点が線になり、面になっていくような、人物同士や物語が拡がっていくような、一つひとつの事象への愛を感じるのです。時代は変わっても本が人に与える力は変わらないのだなと感銘を受けます。
まだデビューして日の浅い児島さんは、「あとがき」に創作の苦悩について綴られています。おそらくアシスタントを付けずに、お一人で作品を紡いでおられるのでは。ひとコマずつ、丁寧に、ご自身でじっくり描いている様子が伝わってきます。
そもそも主人公「十月堂」が、さえないサラリーマン生活をやめて、古書店を開くことになったのには、あるきっかけがありました。それは、お世話になった古書店「岡書房」が閉店を決めたこと。「十月堂」にとってその書店は、会社員生活で傷付いた羽根を休めるサンクチュアリのような場所でした。その店主のおやじさんのところに、ある日、美術大学に通う学生・南くんが訪ねてきます。それ以降、折にふれ何度もやってくる南くんとのやり取りを通じ、「本好きの若者がまた1人増えた」などと、「岡書房」のおやじさんと「十月堂」は喜んでいました。ところが、その南くんは――。
ここで明かされる事実と、それをわざわざ出かけて見に行って知ったおやじさんの気持ち。その背中の描写たるや。傷ついて、でも、諦念も同時に抱いている。その諦念は、古書店という仕事に従事する者なら誰しもが抱える、あるパラドックスに起因しています。「だから、彼のことを自分は非難できない」。おやじさんは、そんなところに自分の気持ちを落とし込んでいきます。
南くんは、自らの「作品」に関して講評する教授から、痛烈な言葉をかけられます。これまで主観しか持っていなかった自分が、客観側から見たら、何と酷いことをしてしまったのか。初めて自分が犯した罪に南くんは気づくのです。ただ、おやじさん、南くん、教授、きっとそれぞれに状況がある。経緯や動機を十分推し量らないまま、それぞれの主観を積み重ね、折り重ねて、編んでいく。多かれ少なかれ、社会とはそういうものかも知れません。たとえ自らの中では間違っていなくとも、他者から見たら酷いことがある。きっと僕自身も、相手の意図が理解できず傷つき、またどこかで傷つけているのかも知れません。そんなことを思うエピソードです。それだけでは物語は終わりません。南くんにはのちの回で、壮大な伏線回収が待っています。
ところで、第6話「さよなら、青木まり子」では、1980年代『本の雑誌』の投書欄をきっかけに全国に広がった、ある噂(うわさ)に触れられています。それは、「青木まりこ」さんという20代女性から送られてきた投書。「理由は不明ですが、2、3年前から書店に行くたびに便意を催すようになりました」――。これに対し「私も!」「俺も!」という共感の声が相次ぎ、本の界隈では当時、大きな話題になったそうです。「青木まりこシンドローム」を僕は今回初めて知りましたが、言われてみれば本屋さんに行くと、たしかにトイレに行きたくなるかも!
本の印刷の香り、あるいは糊(のり)の香り、さもなくば新刊が持つ、あの独特の香り。書店、古書店、図書館を問わず、「本」に感じる何かしらの香りが身体に影響するのでしょうか。あるいは、本の集まる場所が持つ、ある種独特の圧力みたいなもの――、たとえば「静かに読まなければ」「読み終わるまで留まらなければ」といった無言のプレッシャーが影響するのでしょうか。たくさん本が集まった場所が持つ独特の圧力。それが、お手洗いに駆け込む理由になるのかも。皆さんはどうですか。共感しますか?
「十月堂」を訪れるお客さんたちが、それぞれの物語の主人公です。「十月堂」店主は、いわば狂言回し役。たとえば、東京・御茶ノ水の「丘の上ホテル」にふと迷い込んだ、スランプ続きの漫画家・人見さん。そのバーで出会った熟年の連れ合い・中野さん夫妻、若きホテルマン・英(はなぶさ)くん。ホームセンターの従業員・田部さん、そこで木材を買って本棚をDIYする本好きのジョージさん(不器用すぎて、田部さんの力を借りることに)。「十月堂」店主に恋心を抱く、文学少女の高校生・牟礼さん、寺田寅彦ファンの亡き夫を思う若林さん――。一人ひとりがすれ違い、袖振り合ってつながって、いつしか「十月堂」を舞台にドラマが重層的に続いていきます。作者・児島さんは、一人ひとりに均等に愛を注ぎながら描いておられる。それが伝わって来て、とても心地良いのです。
ところで書店といえば、この「谷原書店」は2018年7月から、僕が好きで読んでいる本を勝手気ままにご紹介しています。小説、エッセイ、漫画、ジャンルを問わず、いろんな本を並べてきました。この連載の読者の皆さんとも、「十月堂」のような世界をつくれたらなあ。そんな思いを、特に今回は感じています。これまで「谷原書店」で紹介した本を並べる本棚を、実際につくってみたら、楽しいだろうなあ。「谷原書店」をきっかけに、本を手に取って読んでくださった方が集まって、お話をする機会があっても良いかも。いつか、実現させてみたいです。
「十月堂」の常連客・中野さんが寄り道した、書籍・DVD大型買い取り販売チェーン「ブック・オン」。そこで彼が出合った伝説の漫画『童夢』(大友克洋、双葉社)は、ぜひ一緒に読んでもらいたい一冊です。僕も中学生の時に熱中して読み、その圧倒的なスケールに度肝を抜かれました。超能力の表現が、『地球(テラ)へ…』や『超人ロック』などのSF作品からドラスティックに変わったのです。クライマックスは、超能力を持つ老人・内田長二郎と、少女・悦子がサイキックバトルを繰り広げる場面。悦子の強大な念動力を受け、長二郎は団地の壁に押し付けられ、コンクリートがボッコボコに凹みます。あの描写、めちゃくちゃ斬新だったなあ。1983年の刊行後、一世を風靡してから時が過ぎ、絶版状態となり古書店では高値がついていましたが、2022年、講談社から大友克洋全集『童夢 (OTOMO THE COMPLETE WORKS 8)』として復刻刊行され、手に入れやすくなりました。
それから、第1話「本を葬送(おく)る」の中に何度か登場する『やし酒飲み』(エイモス・チュツオーラ著、土屋哲訳、晶文社/岩波文庫)。アフリカの底なしの森を舞台に、やし酒を飲むことしか能のない男が酒づくり名人を連れ戻すために「死者の町」へ旅立つ……。何だかよくわからない物語です。十月堂は常連客に対し、「主人公、アル中の金持ちニートだと思って読んでたら、序盤でいきなり全知全能の神になっててウケました」と感想を語ります。第1話の中では過去、現在、次世代へと読み継がれる描写があります。これって、何かのメタファーなのでしょうか。いろいろ想像をめぐらせています。(構成・加賀直樹)