ISBN: 9784865285116
発売⽇: 2026/03/30
サイズ: 18.8×2cm/260p
「手の言語学」 [著]松田俊介
たとえば、「彼はドアを開けた」という文章。これを日本手話(主にろう者が用いる言語の一種)に翻訳しようとすると、ある意味で訳し過ぎないといけなくなる。なぜなら、元の文では明示されていない「どうやって開けたのか」という動作の部分を、手話ではジェスチャーのような仕方で表現する必要があるからだ。押す、引く、等々、何らかの動作をひとつ選ばなければならないという「縛り」がかかるのである。
しかし逆に言えば、手話の場合、動作はそのまま動作として表せばよい。つまり、動きや変化など動的なものを表すのはむしろ得意なのだ。また、動作による表現の多くは、誰にとっても見て分かりやすいという利点を備えている。本書によれば、日本手話は視覚言語、つまり目に見える言語であり、手指の動作、頭の動き、眉の位置、口の形状などが重要な役割を果たす。そして、この特徴が言語の構造に反映され、独自の文法をかたちづくっているという。
「ある言語の個性は、他言語と比べてはじめて浮かび上がってくる」と著者は言う。その言葉の通り、本書は日本手話と日本語を比較することで、両言語の個性をくっきりと照らし出す。そしてそこから、人類の言語の起源はジェスチャーか音声か、といった意外なテーマにも次々に踏み込んでいく。なかでも興味をひかれたのは、日本手話とマンガの表現の比較だ。音をオノマトペや線にして描く、出来事の因果関係をコマ割りのようにして表現する、といった共通点が両者に見られることを、著者は実に鮮やかに浮き彫りにしている。
本書のベースになっているのは「認知文法」と呼ばれる言語理論だが、とっつきにくさはまったくない。図や写真が豊富で、手話の動画へのリンクを埋め込んだQRコードも駆使されている。そうやって、まさに視覚的に分かりやすく解説されているので、言語学自体になじみのない人でも読み進められるし、おまけに、認知文法の発想の肝に触れることすらできる。
本書を読んでいると、日本手話を探究するのが楽しくて仕方ないという著者の思いが、まっすぐに伝わってくる。そして、その思いに乗せられて、この言語に自分が向けてきた奇異の目やよそよそしい感覚が自然と薄れていく。代わりに、この言語についてもっと知りたくなる。そして、同時に実感を伴って見えてくるのは、各種の手話が日本語や英語などと並んで普通にそこかしこにあり、私たちの生活の一部をかたちづくっているという、当たり前のはずの事実である。
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まつだ・しゅんすけ 1995年生まれ。東京大文学部言語学研究室助教。専門は言語学(日本手話)。手話通訳士。論文に「視覚言語である日本手話は使役と移動をどう表すか」など。本書が初の著書。