同時代を生きる作家の活動を見る面白さは、今後どうなるかサッパリわからないところだ。本人にもわからない。大学に勤めるとか安定的なルートがないわけではない。だが、著者はどうなるかわからない不安定な場に自らをあえて投げ込む。美術というガチガチの制度を前に、それでもなお、絵を描いている私とは誰かという青臭くも真摯(しんし)な問いを手放さないためだ。初期衝動を武器に、ドン・キホーテよろしく著者は巨大な美術史に立ち向かう。
図版の左は、我が国の洋画家に多大な影響を与えたラファエル・コランの絵画の、本来は草むらに横たわる裸体女性を、戦時下のパールハーバーに移送している。二つの歴史を重ね合わせることで奇妙なユーモラスさが滲(にじ)み出している。本書をめくる読者には作家の自画像にも重なるだろう。右では、近年取り組んでいる陶芸によるヤシの木が性的な目線を煽(あお)る。同時に、真珠湾に散った大叔父への追憶でもあることが、やはり次第にわかってくるはずだ。見開きごとの、考え抜かれた配置によって作品どうしの交流が生まれ、読者も誘い込まれる。展覧会だけが作品の場ではない。絵を見ている私とは誰か、と読者に問いかけているのだ。=朝日新聞2023年6月17日掲載