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社会への一歩、切手が開いた 青来有一

イラスト・竹田明日香

 子どもは、色々なモノを集めます。コレクターのようにモノを吸い寄せる。大人から見たら、どんな価値があるのかわかりませんが、ドングリとか石とか、ボタンとか空きびんにしまいこんでいたりします。

 もっとも、コレクターとしては移り気で、大人になるうちに失って、ほとんど忘れていきます。昔、集めていたモノを物置の奥で見つけだしたときなど、恥ずかしさ半分、感傷半分の苦笑いを浮かべながら処分する場合がほとんどでしょう。

 小学5年生の頃、切手集めに夢中になったことがありました。子ども向けの学習雑誌で切手の図案の美しさを知り、家に届く郵便物が楽しみでした。封筒の一部を切り取り、水に漬けると切手がするりと剥がれます。そんなふうに使用済みの切手を集めたのが、スタートでした。たぶん、当時の流行りだったのでしょう。同級生と切手を交換した記憶もあります。

 そのうちに切手カタログを見るようになり、実際の収集家の取引価格を知り、「月に雁(かり)」とか「ペニー・ブラック」といった高額の切手も知り、「きれい、珍しい」の素朴なコレクションの動機が「高い、安い」という損得の動機に変わっていきました。

 ただ、それは単に欲得でモノを価値づけるようになっただけでなく、適正な欲望を学ぶというと奇妙かもしれませんが、個人の思い出や素朴な感情にとって価値づけられていたモノの世界から、社会の共通の価値にもとづいて秩序づけられたモノの世界へ踏みこんだ、初めの一歩だったようにも思えます。

 先日、実家の収納ボックスの奥にしまいこんでいた切手アルバムを取り出して久しぶりに見てみました。切手を保管しているアルバムのことは、ひょっとしたら価格が上がったかもしれないという物欲があったせいか、ずっと忘れないでいました。通信販売で買った切手もありますが、記念切手が発売されるたびに買ったものがほとんどで、「札幌オリンピック冬季大会記念」切手は、スキーやフィギュアスケートなどの競技を赤と青を基調にしてデザインされ、生まれて初めて見たスキーのジャンプ競技のことを思い出し、当時の高揚した気分もよみがえってきました。笠谷選手を始め「日の丸飛行隊」が金銀銅のメダルを独占したことや、尻もちをついてもかわいらしい「銀板の女王」、ジャネット・リンの笑顔が浮かび、初恋のように胸がときめきます。

 ただ、高価で取引されている切手はありませんでした。オリンピックの切手は多く出回っていて、額面そのままの金額がほとんどのようです。20円が100円の価格で取引されているものもありましたが、大量にシート買いをしたわけでもなく、手間ひま考えたら利益などありません。

 「価値」というコトバは多くの場合、「意味」と言い換えることができます。「生の価値」を問うことは「生の意味」を問うことにほかなりません。この意味とは、物語ることであきらかになるのではないかと思います。どう生きたのかを物語ることで、その生が価値づけられる。偉人伝ではない、庶民のつつましい人生も、悲惨な戦争体験も物語ることで、その意味が理解され、世の中に共有されていきます。一枚の切手からあれこれ思い出すのは、自分の半生を自らに物語って価値づけることかもしれません。

 切手アルバムを探していて、小さな桐(きり)の箱を見つけました。「寿」と金文字で印刷された赤いシールが貼られています。「寿」の下に「御臍帯(さいたい)納」と書かれ、箱の裏に私の名前が記されていました。中には薄紫色の和紙の包みが納められ、そっと開けてみると、干からびた綿の小さな固まりのようなものが入っています。母と私をつないでいたヘソの緒らしく、まさに母と子の物語の端緒そのものを見いだした気がしました。=朝日新聞2023年6月5日掲載