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ままならぬ心に振り回されて 青来有一

イラスト・竹田明日香

 今年は遠藤周作の生誕100年にあたります。「沈黙」などの神と信仰をテーマにしたシリアスな小説もありますが、「狐狸庵(こりあん)先生」とも呼ばれたように、とぼけた味わいの文章も多く、「私の小説作法」と題したエッセーもそのひとつでしょう。多忙な作家生活の舞台裏を明かしています。

 「朝たいてい九時には机に向う。昼食の時間を除くと、日が暮れて窓のむこうが暗くなるまで腰かけている。しかし、その間、仕事をしているのではない。大半の時間は、机に向っているが、鉛筆をいじったり、パイプを掃除したり、同じ新聞を何度も何度も読みかえしたりしているのだ」

 毎日、自分はイヤイヤながら仕事をしているそうで、思わずニヤリと口もとがゆるみます。なにかと気が散って、あらぬ方に関心が向かい、仕事がはかどらないということは、だれも経験があるでしょう。

 集中できたら、さっさと終えることができるのはわかっていても、現実はそうはいきません。とにかく気が散る。心はいつもうわの空。あらぬことを夢想したり、ネットサーフィンや古いメールを読んだり、やらなければならないことになかなか心を向けることができません。自分の心なのに思いのままにならないのです。

 なぜ、わが心はわが心をコントロールできないのか、勝手にあらぬ方向に行くのはなぜか、そんなことを考えながら散歩していると、大きな茶色の毛の短いイヌに引っ張られ、早足で飛ぶように歩いていく高齢の男の人に追い抜かれました。

 よくしつけられたイヌは飼い主に歩調を合わせ、赤信号の横断歩道ではきちんと座って信号が変わるのを待ちますが、多くのイヌは草の匂いを嗅いだり、他の犬に吠(ほ)えたり、マーキングのオシッコなどで気忙(ぜわ)しく、飼い主の思い通りにはなかなか動いてはくれません。散歩の目的が、イヌのストレス発散ですから、おおらかにかまえていればいいのですが、時間も限られ、自由放任というわけにもいかないのでしょう。

 小型犬だと、抱きかかえて連れていかれるイヌもたまに見ます。大型犬だと抱くには重く、力も強い。飼い主があらぬ方向に猛スピードで引っ張っていかれることもあるはずです。

 気まぐれな心とは、あの犬のようなものではないか……、トンデモない比喩を思い浮かべたのでした。

 男性は小走りのまま、イヌに引っ張られていきました。その後ろ姿を見送りながら、彼らが向かう方の車道沿いにあった豆腐店のことを思い出しました。その店は、近隣の人たちが器を持って買いにくる昔ながらの「豆腐店さん」でした。

 店の御主人がステンレスの水槽の中を泳いでいる、角材のような長い豆腐をすくい、半分、水に浮かべたまま、薄い四角な包丁で切り分けていく手つきを見ていたことがありました。

 水が冷たくて、御主人の手は桜色に染まり、清潔なその手で注意深くていねいに豆腐をつかまえては、等分に切っていくのです。一丁だけをすくい、器におさめ、他の豆腐は冷水にゆっくり沈めました。角ひとつ欠けることない、白い豆腐のかたちは、熟練の職人の集中する心そのものにも思えて清々(すがすが)しいほどでした。

 評論家の小林秀雄が、最近、集中力がなくなり、傘を忘れなくなったと話したというエピソードを読んだことがあります。考えることに集中しているとまわりが見えず、傘を忘れるというのです。

 なにごとか成し遂げようとしたら、我を忘れて集中する必要がありますが、それは危うい状態なのかもしれません。気が散るのも人間には必要な能力ではないかと考えもしますが、なんとなくネットショップを見たりして時を過ごしてしまう自分に、やはり、うんざりしてしまいます。=朝日新聞2023年7月3日掲載