「歴史小説を書いたわけじゃない。チンギスという一人の男の生と死を書きたかったんです」
物語は13歳のチンギス(幼名テムジン)が、ある事情により氏族を離れ、南の金国に向かうところから始まる。途中、砂漠で拾った奴僕(ぬぼく)の少年ボオルチュと共に。2人は仲間を増やしながら、戦いの日々を駆け抜けていく……。
チンギスの前半生は「モンゴル秘史」「集史」といった史料を読んでも謎だらけ。おおげさな記述を精査し、史実と思われるところを抜き出すと、わずかなものしか残らない。
史実が薄っぺらくなるほど、この世界は私のものに――
「史実が薄っぺらくなるほど、この世界は私のものだと思うようになる。それが小説家の発想です」
版図を広げる際に強力な騎馬隊を率いたとの記述はあるが、その騎馬隊をいかに維持したのか。北方さんは兵站(へいたん)に注目した。馬の育成や鉄の利用、ボオルチュが手がけた軍営のトイレ整備など、戦いの場面以上に兵站構築に紙幅をさいた。
「当時の強い軍とは兵士の数を頼むところがあったけど、チンギスは兵の数より兵站が重要と考えた。合理主義者なんです。合理で戦略目標を定めることは生きることに直結していたわけで、ただの戦の小説にはしたくなかった」
そんなチンギスの前に、異なる氏族や民族が立ちはだかる。とりわけ、前半最大のライバルとなるのが隣接氏族の長ジャムカ。後半は彼の息子マルガーシが節目節目の戦に現れる。騎馬隊同士の組織戦が多く描かれる物語のなかで、チンギスと2人の戦いはしばしば個人同士の戦として描かれ、乱戦のなかでも互いに心を通じ合わせる。
ジャムカは実在人物だが、息子は創作。「ジャムカは史料でもライバルなんだけど、どこで死んだかもわからない。敗者は史料から消されていくものだから、想像で補うしかない。ジャムカを魅力的に書かないとチンギスも生きてこなかったし、彼の血を引いたマルガーシは物語を終わらせる力にもなりましたね」
縦横にめぐらせた想像力は食事にも及ぶ。冒頭から出てくる携帯食「石酪(せきらく)」は、小石のようなものを口に入れてしばらくしゃぶっているとふやけて口の中に濃厚な味が広がる。馬乳酒を煮つめて強い酒をとった後の残りカスらしいが……名前も製法も架空の産物だ。ほかにも羊肉を焼いた後にチンギスがふりかける謎の粉が生み出す香りなど、おいしそうな描写があちこちに出てくる。
「せっかくだから登場人物にうまいものを食わせたいじゃない。食事は生きることに直結している。私は死を書くより、生を書きたい気持ちの方が強いから、もりもり食わせますよ」
西方のホラズムとの戦いを終え、老境にさしかかったチンギスはゆったりと自らの死に思いをはせるようになる。70代前半をこの連載に費やした北方さんの死生観が反映しているのか。
「私の実感に重なるところはあります。『水滸伝』を書いていたころは、死ぬことはいろんな複雑な意味を持つものだったけど、いまはどんなに複雑なものがあったとしても、死とはただ死ぬだけだと。でも、死はよくわからないな。やっぱり生きることを書くことでしか、死はわからない」
今年1月、23年務めた直木賞選考委員を退任した際に「最後の長編に挑みたい」と表明していた。
「頭の中でたぷたぷしていたものが煮こごりみたいになってきてる。もうすぐ固まると思いますね」(野波健祐)=朝日新聞2023年8月2日