1. HOME
  2. インタビュー
  3. 堀本裕樹さん「海辺の俳人」インタビュー 暮らしの変化映し、モノローグからダイアローグへ

堀本裕樹さん「海辺の俳人」インタビュー 暮らしの変化映し、モノローグからダイアローグへ

堀本裕樹さん=松嶋愛撮影

ロードムービー的に自分も変化

――『海辺の俳人』は、要所要所に俳句が挿絵のように差し込まれています。エッセイと俳句の取り合わせは、どのように考えられたのでしょうか。

 挿絵みたいという指摘は嬉しいですね。エッセイという散文のなかに、俳句という韻文がときおり差し込まれることで、一つのアクセントになるかな、読み物として膨らみが出せるかなと思ったんです。読者に先人の俳句やその句で使われている季語の意味合いなども知ってもらえたら嬉しいなと思いながら、エッセイの流れに合いそうな句を選んでいました。
 文章の最後には必ず自分の俳句を置きました。その一句をエッセイの締めくくりとしながらも、ふたたびその一句からエッセイの世界へと立ち返られるようなものにしようと、そういう思いで詠んでいきました。

――ミキサーの話がとても印象的でした。1台目と2台目のミキサーがすぐに壊れて、3台目を手に入れるまでのエッセイですが、そこまでのエッセイと違い、すごい熱量で書いていますよね。

 それまでのエッセイは静かな、どちらかというと内向的なトーンでしたが、ミキサーのあたりから僕の「ときどき変人」っていう部分が出たのかなと思いますね。「変人」っていうのは、帯文にある文言ですが。僕は自分を変人だとはあまり思わないけれど、担当編集者に言われて、なるほどと。確かにちょっと変なところはあるかもしれないと思いました(笑)。本当にでも、ダメなミキサーに腹が立ったんですよ!(笑)

<こうやって書いていると、忘れかけていた二台目ミキサーの駄目さ加減が克明に思い出されてきて、購入して一ヶ月ばかりで破棄する羽目になったやるせなさや怒りがふつふつと蘇ってきた。勢いその量販店の名前とミキサーのメーカー名を書き付けてやろうかとキーボードを叩く指先につい力が入るが、やめておくことにする。>(「ミキサーを求めて」)

 文芸誌「小説幻冬」で月1回の連載だったので、定点観測的でありながら、緩やかなロードムービー的な要素もありつつ、日々の出来事やちょっとした変化がたどれます。1ヶ月の間に、これだって思ったエッセイの種があったら携帯電話のメモにパパッと入れたり、すぐに書き始めちゃったりしてましたね。エッセイに差し込む俳句は事前には決めていなくて、文章を書きながら、この場面に合う俳句ないかなと思って、俳句歳時記を調べることもありました。

堀本裕樹さん=松嶋愛撮影

親しみやすさと奥深さ

――エッセイは、とても親しみやすい文章でした。それは日常的に俳句を教えたり、芸人の又吉直樹さんとのお仕事などで育まれたものでしょうか。

 ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。俳人同士で交わるのも好きですけど、異業種の人と交わるのは、またとっても刺激になって好きなんですよ。以前、又吉さんに有季定型の俳句のいろはをレクチャーするという形で対談を2年やったんですけれども、又吉さんに俳句の基本を伝えるということは、その対談を誌面で読んでくれる読者もいるわけですね。又吉さんを見て伝えながらも、その向こうにいる読者のことも考えて、よりわかりやすく丁寧に、しかも安直にならないようにと心がけました。「俳句って、今ここで語られている以上に、もっと奥深いんですよ」ということを含ませつつ、又吉さんにも読者にも伝えないとダメだなあと思っていました。だから自然とそういう、親しみやすい語り口になっていたのかもしれませんね。

――『海辺の俳人』を読んでいても、俳句を知らない人でも俳句を楽しめるエッセイになっていると思いました。……けれど、お子さんが生まれたところでバランスが崩れる(笑)

 そうですね(笑)。湘南で暮らしていた町にも近い大磯で新刊記念イベントをした時に、対談相手をしてくださった写真家の八幡宏さんが、「結婚して子供が生まれた時からテンションがグーッと上がって文体も変わってきたし、その転換が面白かった」って言ってくれました。それは僕の人生の浮き沈みじゃないけれども、暮らしの移り変わりのままの文体と内容になっているのかなという気はしましたね。最初は一人暮らしのモノローグから始まって、結婚して、子供が産まれることで、自然に会話が生まれて、ダイアローグの世界になっていくという。それはもう、まさしく人生の流れに沿って、思うままに書きましたね。

――あとがきの、お引越しというのに驚きました。

 最後の「小説幻冬」の連載を終えて、掲載号が僕の住んでいた家に届いたその日に、借家の管理会社から電話がかかってきて「6ヶ月以内に立ち退いてください」と……。「えっ!」って、一瞬絶句しましたね。さすがにうろたえました。全く予想外のドラマチックすぎる展開でした。

――原因はなんだったんですか?

 よくわからないけれど、オーナーが自分でこの家に住みたいって言ってると。管理会社の人も、いまいちはっきりしない感じでしたね。何人かに立ち退きのことを相談すると、「法律的には、住み続けられますよ」ってアドバイスをくれる人もいました。でも、そういうオーナーの元で、これからも住み続けるのも不安だなあと思ったんです。毎日海を見る生活だったので、妻と「今度は緑が見えるところに行きたいね」と話していました。その思いが通じたのか、6ヶ月以内に無事に退去して、今は窓から緑しか見えない家に暮らしています。

才能を見つけ出して、送り出してあげたい

――俳句のお話を聞かせてください。堀本さんは、角川春樹さんが主宰する俳句結社「河」に所属したあと、2010年に独立して「蒼海」を立ち上げていらっしゃいますね。

「河」で5年修行しました。3年間編集長をして、角川春樹主宰にみっちりと付いて学びました。本当に文字通り「鞄持ち」であり、弟子でしたね。春樹主宰が出る句会にはすべて出席していました。1ヵ月に10句出しの句会が4つくらいあったかな。「河」の支部がある北海道や京都や宮崎など各地を一緒に巡り、常にお供しましたね。とても刺激的な日々でした。

――結社の主宰として、人々を取りまとめるときのご苦労はありますか?

 自分が主宰という立場になってみて、わかったことはいろいろありますね。自分なりに色々と目を配って、一人ひとりの会員の個性を見極めながら指導をするというのは、やり甲斐もある一方、なかなか大変な部分もあります。でも、何より結社を結成したことで、俳句を研鑽できる仲間を得たというのはとっても心強いし、お互い俳句を通して心が通い合い、尊敬できるところがある。結社という言葉の響きは、なんだか秘密結社みたいで怖いイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、全然そんなことはないです。誤解ですね。結社で俳句を通して、人とつながることは、いいものだなあと思いますね。

 結社での主宰と会員のつながりというのは、たとえば、会員一人ひとりが、どういう俳句を詠みたいのか、どういう句を目指しているのか、そういうところを僕なりに作品を通して見抜いたうえで、アドバイスするのも一つですね。句会だったら、「選」と「評」で僕が会員に示すということになります。この句を選んで、あの句を選ばないということは、どういうことかと。僕がその理由を説明しながらも、一方で「蒼海」の会員各自が考えることでもあります。僕がAという句を選んだとしたら、Aという句があなたにとっての良質な部分、本質的な部分なんだと伝わればいいなと思っています。主宰として、会員に何かしらの指針を示すことで、句作りのプラスになればいいなということですね。選句で示す意義はいろいろあるでしょうが、その人らしい句、ここがすごくいいところだよと道標になれるような選をしたいですね。

――今のお話を聞いていると、俳句にその人の人格が現れるような気がします。

 俳句には人格もある程度滲み出るでしょうし、その人の暮らしや考え方、その人が何を目指しているのか、何に美意識を感じているのかなど、いろいろと表れるでしょうね。僕の選句や句評は、あくまで指針であって、それを受け取った側は、改めて自分の中で咀嚼して内省して考えることが大事なんじゃないかと思います。決して、僕の考えの押し付けじゃなくて、僕からの一つの提案をどのように各自が受け取るかが、肝心だと思います。

――ぶしつけですが、「蒼海」でイチオシの俳人をあげていただけますか?

 みんなイチオシにしたい! 最近、うれしいことに「蒼海」から俳句の新人賞受賞者が立て続けに出ているんですよね。星野立子新人賞を受賞した千野千佳さん。俳句四季新人賞を受賞した犬星星人君、俳句四季新人奨励賞を受賞した早田駒斗君。この3人はタイムリーなところでいえば、イチオシですね。これからさらに俳壇で活躍していくんじゃないかと期待しています。

堀本裕樹さん=松嶋愛撮影

――これから、堀本さんはどのような俳人になっていきたいとお考えですか?

 「蒼海」主宰としては、これからの俳人を育てていきたい。これから「蒼海」から出ていって、より広い世界で活躍してくれる人を輩出したいですね。俳句という文芸にプラスになっていくような俳人が育ってほしいです。「育てる」と言うと、少しおこがましいですけれども、資質のある人を見つけ出して、「さあ、行っておいで」と送り出してあげられたらなあという気持ちはありますね。もちろん趣味として俳句を深めたい人、俳句を暮らしの張りや彩りにしている人、ただ俳句が好きで詠んでいる人など、いろんな気持ちや志向で作句に取り組んでいる方がいらっしゃるので、そんな方々にも僕なりの助言ができたらと思います。

 たとえば、僕が死んでからも、僕が考えていた俳句観を伝えてくれるような俳人が育ってくれたらなあという気持ちもあります。それから教えながらも教わることって、たくさんあるんですよ。僕は主宰という指導者の立場ではあるんですけれども、僕の気持ちとしては会員と平等な立場でいたいと思うんです。もちろん、アドバイスを伝えたり、添削したりするんですけれども、でも、それらをどう受け取るかはあなた次第ですと。俳句って「自得の文芸」とも言われますね。結局は自分で考えて、習得していくものだと思います。

 僕自身も古典を中心に、小説、詩、音楽、絵画、色んなところから刺激を受けたいなと思っています。そのように触発されて吸収をしながら、自分の俳句を磨くというのが、一番重要なことだと思います。自らの作句も弛まず、徹底的にやっていきたいなと思っています。