梅雨が明けるとセミの声が急に大きくなります。市街地では虫たちの姿は少なくなりましたが、クマゼミやアブラゼミは多く、ジリジリという暑い声が夜になっても、幻聴のように耳の奥に残り響くこともあります。
虫カゴの中の黒いセミたちを見ていた夏がありました。角型の、肩からさげるヒモがついた緑色の合成樹脂の虫カゴで、黙りこんだセミの複眼や口吻(こうふん)、節くれだった脚は囚(とら)われの小さな宇宙人そのものでした。
神社の鎮守の森にはセミがたくさん鳴いていましたが、小学校2年生には高い所のセミを捕まえることはできません。ある日、捕虫網を持った高校生がセミをくれたことがあります。二つに折った白いふわりとした捕虫網には、クマゼミやアブラゼミがたくさんからめ捕られていて、虫取り名人は指でつまみ出しては、弾丸でもこめるように虫カゴの中に十数匹のセミを入れてくれたのです。
夜、虫カゴをのぞいていたら、母方の祖母が「逃してやれ、弱かもんはえらかとぞ」とたしなめられました。
島原半島で生まれた祖母は、幼い頃、竹が眼に刺さり、左目の上部が窪(くぼ)み、まぶたは垂れたままで、黄色い膿(うみ)のような目ヤニをチリ紙でよく拭いていました。祖母は、ふしぎな話をよくしてくれ、河童(かっぱ)と相撲をとった友だちや、たぶん有明海でしょう、海から浜に上がった大きな亀に酒を飲ませたら涙を流して喜んで帰っていったなど、子ども心にも面白半分のつくり話と思いながら楽しんでいました。
十数年が過ぎ、郊外の住宅団地に引っ越した日の夕方、買い物に行った母の帰りが遅くなると、寝たきりの祖母から「迎えに行け」と言われたことがあります。「キツネに化かされとるかもしれん」と祖母は真顔でした。大型ショッピングセンターもある郊外の新興住宅団地でしたが、布団ごと運ばれてきた祖母は、山深い地だと思ったのでしょう。当時、高校生でしたが、祖母の心に人を化かすキツネがいると知り、愉快で温かな気持ちになりました。
セミやクモにも 神仏の姿見いだす
「弱かもんはえらか」という、祖母の言い方はなんとなく今も耳に残っています。古い木造の家に住んでいた時、大きなイエグモがたまに出ましたが、ホウキや殺虫剤を持って騒ぐ孫たちを祖母は「夜のコブは殺していけん」となだめました。クモは九州では「コブ」と呼び、「夜のコブ」は「喜ぶ」に通じるという縁起かつぎです。「ダジャレね」と笑うと、祖母は「弱かもんはえらか」とすましていました。
「えらい」というのは「しんどい」「大変」の意味で、生き難さへの同情だと思いこんでいましたが、長崎では「えらい」は「偉い」の意味でよく使います。もしかしたら「弱いものは偉い」という意味だったのではないか、最近、そう考えるようになりました。弱いものを敬い、尊ぶ心情、小さな虫にも神仏の姿を見いだして拝むような心が、祖母にあったのではないか。45年前に亡くなった、左目が窪んだ祖母を思い出し、虫カゴのセミたちのことを考えます。翌日、セミはすべて死んでいました。扇風機の風にカサカサと転がる乾いた軽い死骸でした。
夏になるとセミの声は今も聞こえますが、カミキリムシやトンボは市街地でほとんど見なくなりました。身の回りで小さな神仏がひっそりと消えていったのかもしれません。
大きなイエグモもいなくなったと思ったら、先日、工事現場で作業員が積み重ねていた古いコンパネを持ち上げた時、大きなクモが這(は)い出すのを見ました。小さなタコが手足を振り回して逃げだしたようにも見えてはっとした次の瞬間、作業員が、小気味良く厚い靴底で逃げるクモを踏み潰しました。「落とすなよ!」とコンパネの反対側を持つ作業員が声をかけ、汗まみれのふたりはトラックの荷台に顔を赤くしてコンパネを積みこんでいきました。=朝日新聞2023年8月7日掲載