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「普通」を揺さぶる幻想物語 川野芽生さん「奇病庭園」インタビュー

川野芽生さん=種子貴之撮影

人間にはなぜ角や翼がないのか

――『奇病庭園』は30あまりのエピソードが複雑に絡み合う、川野さん初の長編小説です。奇病に侵された世界、という物語はどのように生まれたのでしょうか。

 まず序文にあたる部分が浮かんできました。「奇病が流行った。ある者は角を失くし、ある者は翼を失くし、ある者は鉤爪を失くし」……という箇所ですね。そのイメージに導かれて文章を書き進めていくうちに、少しずつ物語の地図ができあがっていきました。あらかじめ決まったプロットがあったわけではなく、このエピソードとこのエピソードは繋がりそうだとか、この登場人物は以前出てきたのと同じ人物だとか、発見しながら文章を紡いでいったという感じです。

――収録作の多くは10ページほどの掌編ですが、「翼に就いてⅡ」だけは中編といっていいくらいの長さがあります。この構成も書きながら決まっていったのでしょうか。

 そうですね。「翼に就いてⅡ」はもとともと第一章の「翼に就いて」に含まれていたエピソードだったんですが、3人の登場人物をかわるがわる描いていたら、そのうちの1人のストーリーが思った以上に長くなってしまって。その部分を前日譚として独立させることにしました。

――角や翼が生えた者、毛皮に覆われた者、複眼をもつ者など、奇怪な姿に変身していく人間たちの物語が、絢爛としたイメージとともに描かれています。

 そこはごく自然に出てきた発想というか、人間って角や翼が生えているのが本来の姿じゃないでしょうか(笑)。以前から「人間とはこういうものだ」と社会で共有されている前提に違和感があって、自分が人間と呼ばれることにも戸惑いを感じてきた。人間という概念はどこからどこまでを指すのか、人間と人間でないものの境界はどこにあるのか、という問いが根深く自分の中にあるんです。

――確かにこの作品における変身には、悲劇的なニュアンスが感じられません。むしろ本来の姿に立ち返っていく、解放感や喜びが伴っているような気がします。

 人間は必然的に現在あるような姿形をしているわけではなく、たまたまこうなったに過ぎない、という発想がベースにあります。そして角や翼を失った人間たちが、閉ざされた庭園に寄り集まって暮らしている。その集団から排除される苦しみや恐怖はあるにせよ、姿形が変わること自体は悲劇ではありません。
 現実世界でも人間のカテゴリーは、時代とともに変化するものですよね。奴隷制の時代において奴隷は人間から省かれていたし、英語のmanが人間と男性を指すように、女性も人間に含まれていなかった。人間というカテゴリーを成り立たせるために、社会は常に“人間でないもの”を設定してきましたが、その範囲はいくらでも変わりうる。そうした思いが、閉ざされた庭園が滅びていく、という物語に繋がったのではないでしょうか。

川野芽生さん=種子貴之撮影

「男か女か」という二元論を相対化する表現

――異形の住む森で育った〈七月の雪より〉と、旅する写字生に拾われた〈いつしか昼の星の〉。翼ある妊婦によって産み落とされた2人の赤子が、多くのエピソードに登場します。

 2人は別々に育った半身のような関係です。2人がどんな人生を送るかはまったく決めておらず、気づくとあちこちに登場して、合流して離ればなれになって、という展開になっていました。写字生/旅人にしても、こんなにあちこち出てくるとは思わなかったですね。

――ユニークなのはこの2人が、いわゆる主人公ではないこと。物語を牽引するような行動は取りませんし、エピソードによって呼び名も属性も自在に変化します。

 よく編集さんに「登場人物の行動原理が分からない。どうしてこんな行動を取るんですか」と尋ねられるんですが、人ってそういうものだとしか言いようがありません(笑)。一貫した個性を備えた人間、というのは近代リアリズムの生み出した創作で、人間はもっとあやふやな存在だと思うんです。

――登場人物の性別についても、男か女かという性別二元論を離れた描き方になっていますね。

 たとえば作中では「青年」という言葉を、男女両方に使うようにしています。写字生/旅人は「青年」と書いてあるので男性に思えるかもしれませんが、後に女性であると分かる描写があるんですよ。
 毎回悩むのは性別代名詞の使い方です。『無垢なる花たちのユートピア』に収めた「いつか明ける夜を」という作品では、女性に対して「彼」という代名詞を使いました。もともとは男女両方に使える代名詞なので、昔の用法に戻そうと試みたんです。ただ、現代の用法だけ見ると、男性が人としてデフォルトであるかのように見えてしまうかもしれないと気になった。
 それで今回は「彼女」と書いて「そのひと」とルビを振り、「彼女」をデフォルトとする代名詞を作ってみました。読みは「そのひと」なので性別に関係なく使える代名詞のつもりです。作中ではキアーハというトランスジェンダーの人物を指すために使われていますが、一般論としてトランスジェンダーだから「男でも女でもない」なんてことはありません。ただ、性別の規範に反逆するキアーハという人から見える世界の片鱗を表すために、新しい言葉が必要だったんです。

川野芽生さん=種子貴之撮影

現実世界がホラーに転じる時

――森に住む異形の〈世捨て人〉、〈魔物〉が住むとされる塔、狂った患者を収集する病院長……など、退廃的でゴシックな趣味を感じさせる場面も多いですね。

 そうした作品は嫌いじゃないですが、差別や搾取を娯楽として消費してしまうという側面がどうしてもあります。ホラーや怪談にしても、狂気や異形と呼ばれるものへの恐怖の根幹には、差別がありますよね。そこがどうしても気になります。
 それで自分が書く際には耽美的・退廃的な価値観にただ溺れるのではなく、“普通”とそうでないものの境界を揺るがすような表現を心がけています。この作品でも〈世捨て人〉や癲狂院の患者たちより、それを排除する「普通」の人間のほうが怖ろしい、とある登場人物は感じています。

――従来の怪奇幻想文学では、異形の存在と美しいものが対比的に描かれてきました。しかし川野さんはそうした区分にも疑いの目を投げかけています。

 私はとにかくルッキズムというものが嫌いで、世間の人たちが外見についてあれこれ言うのが理解できないんです。自分の外見について言及されるのも嫌ですし、他人の外見にも興味がありません。この小説でも、翼が生えているとか角が生えているといった特徴は描かれていますが、現実社会で注目されるような、顔や体型がどうだという話題はほとんど出てきません。その人物か美しいかどうかは物語に関係ありませんし、そもそも美の基準というのも時代とともに移り変わるものです。「翼に就いてⅡ」ではこの世界で美しいとされている少女が出てきますが、余計な先入観を与えたくなかったので、私たちの世界には存在しない比喩を作って描写しました。

――その少女ミュザイは異性を愛することが当然とされる世界で、自分だけが恋愛を必要としていないことに悩み、苦しみます。「自分はなぜ人と異なっているのか、どうしたら同じになれるのか、同じにならねばならないのか」という悲痛な問いかけが胸を打ちます。

 人間は異性と恋愛をするもので、それこそが人生の喜びである、という教義を掲げる集団の中で、ミュザイはそうした生き方を選ぶことができない。これは私にとっても他人事ではないテーマです。私はアロマンティック・アセクシャルを自認していて、恋愛感情が理解できないし興味もないんですが、人は誰でも恋愛するものだよね、という圧力はどこにでもついて回ります。どうしてそうなのかと問いただしても、みんな「そういうものだから」としか答えない。これはなかなかにホラーな体験ですよ(笑)。私が覚えているそうした世界への違和感を表現すると、必然的にSFや幻想小説に近づくのかもしれません。

川野芽生さん=種子貴之撮影

読者の常識の回路を壊したい

――硬質で典雅な文体も、幻想的な世界観にふさわしいと思います。文章表現で意識されていることは?

 トールキンの『指輪物語』は、架空の言語で書かれた物語を英訳したという体裁を取っていますが、私もファンタジーをトールキンと同じような意識で書いています。元になる言語があって、それを日本語に訳しているという感覚ですね。外来語を使わなかったり、古語を用いたりするのも、現実世界との繋がりを感じさせないようにするためです。
 以前はたった一文字も妥協してはらない、説明のための文章なんて書くものかと思っていたんですが、さすがに美文が続きすぎて読みにくいと新人賞の選評で言われたので、読みやすさとのバランスにも気をつけるようになりました。

――川野さんの作品は幻想文学と呼ばれることが多いですね。ご自分ではどうお考えですか。

 以前はファンタジーなのかなと思って、ファンタジーの新人賞に投稿したりしていたんですけど、どうも自分の考えるファンタジーと世間でそう呼ばれているものには乖離があるみたいで(苦笑)。その後、色んなジャンルに間借りする形で作品を発表してきました。『無垢なる花たちのユートピア』の表題作は「ミステリーズ!」の掲載ですし、同書の「いつか明ける夜を」はSFのアンソロジーに発表したものです。
 幻想文学というジャンルはあまり意識はしていなかったんですが、『無垢なる花たちのユートピア』を単行本にまとめる際に「幻想文学の新鋭」と帯に書いていただいて、この場所が一番しっくりくるのかなと。読者としては幻想文学だけを読んできたわけではありませんが、そう呼ばれることに違和感はありません。

――『奇病庭園』は間違いなく、日本幻想文学の系譜を継ぐ作品だと思います。最後に読者にメッセージをお願いします。

 自分は小説で何をやりたいんだろう、とあらためて考えてみたんです。自分の思想を伝えたいわけでもないし、頭に浮かんだイメージを届けたいのでもない。考えた結果浮かんできたのは「ぶっ壊す」かなと。物騒ですけどね(笑)。ウイルスのよう読者の中に潜り込んで、その人が“普通”“当たり前”と感じているものの回路を破壊し、組み替える。そういう物語が書きたい。一人でも多くの方が、感染してくれることを願っています。

川野芽生さん=種子貴之撮影