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「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」 ガン闘病 最終行まで音楽語る 朝日新聞書評から 

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2023年09月09日
ぼくはあと何回、満月を見るだろう 著者:坂本 龍一 出版社:新潮社 ジャンル:伝記

ISBN: 9784104106035
発売⽇: 2023/06/21
サイズ: 20cm/285p

「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」 [著]坂本龍一

 ニューヨークの日本食レストランで食事中、いきなり背後から抱きつく者がいた。坂本龍一だ。一度会っただけなのに、なんて人懐こい人なんだと驚くと同時に不思議な友情も抱いた。翌日、僕の個展を開催中のギャラリーに来てくれた。オーナーに、Yellow Magic Orchestraのサカモトだと紹介した。彼はニューヨークで有名人だった。
 その後、電報のような短い用件のみのメールやCDが届いた。長い空白があって、ついこの間のことのように思うが、東宝スタジオの社員食堂で彼と食卓を囲んだ。そしてその数日後、アトリエにやってきた。
 いつか彼に聞こうと思っていたことがあった。それはヘルマン・ヘッセの「芸術家が政治に関与すると短命に終わる」という発言への見解であったが、政治的行動をしていた彼はその頃ガンを宣告されたので、ヘッセの言葉は僕の中で封印することにした。だが、ひとつ気になることを質問した。
 「坂本さんの政治的社会的行動は思想?」と。彼はしばし沈黙のあと「僕の行動は性質的なもので、思想というより集会の現場を味わいたいからで、コンサートの現場主義に似ているかな」と答えた。
 芸術的創造はそれ自体が反社会的で、平和的理念を内包しているので、あえてプロパガンダ的行動を起こす必要がないというのが僕の考えである。
 さて、本書は坂本龍一の71年の生涯の自伝である。冒頭いきなり、終わりの見えない壮絶なガンの治療報告で思わず身が引けてしまう。次々と転移するガン腫瘍(しゅよう)の、2年で6回の手術。時にそれは20時間にも及んだ。
 心身共にズタズタになりながらも、彼は死についてあまり語ろうとしない。あくまでも生に立ち向かいながら、死の前々年も前年も、海外も含めて猛烈な量の仕事に決着をつけていく。死を目前に控えた人間が、コロナ禍での闘病生活の中で、ロシアがウクライナに侵攻したことに大きなショックを受け、「一刻も早く暴力が止(や)んでほしい」と願いながら、ウクライナ支援のための海外のチャリティーアルバムに参加し新曲を書く。
 本書の最後の一行まで、彼は音楽を語り続ける。死の年に脱稿された本書には生死の無念さはない。ただ一言「芸術は永く、人生は短し」。「ひとまずここで終わります」と筆を置く。
 本書の記述で、毎週日曜日、山田洋次さんと僕がトンカツの後あんみつを食べると語られているが、事実は蕎麦(そば)の後ぜんざいが正解(笑)。こんなくだらないことに拘(こだわ)る僕と、天下国家を論じる坂本龍一がなぜ友達?
    ◇
さかもと・りゅういち(1952~2023) 音楽家。「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」メンバーとして活躍。映画「ラストエンペラー」で日本人初の米アカデミー賞作曲賞。反原発など社会運動にも注力した。