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怪しい事件が生まれる「ある場所」とは 地域の歴史を背景にしたホラー、ミステリーの収穫3点

リアルな筆致に震えるモキュメンタリー・ホラー

『近畿地方のある場所について』(KADOKAWA)は、これがデビュー作となる新鋭・背筋のモキュメンタリー・ホラー。モキュメンタリーとは実録風に作られたフィクションのことで、ホラー小説では小野不由美、三津田信三、芦沢央らの作品が有名だ。『近畿地方のある場所について』はこの分野の新たな収穫といえる。

 ライターとして活動する「私」(背筋)は、出版社に勤める若い友人・小沢からオカルト専門誌の別冊について相談を受ける。企画案を求めて倉庫のバックナンバーや過去の資料、読者からの手紙をチェックしていた小沢は、山に囲まれた近畿地方のとあるエリアに心霊スポットが集中していることを発見。さらに調べを進めると、県をまたいだ山の反対側でも怪談が囁かれ、悲惨な事件が頻発していた。「●●●●●」(作中では伏せ字にされている)では何が起こっているのか?

 物語は、私と小沢の打ち合わせ風景と、ふたりのもとに集まってきた資料の引用からなる。月刊誌に掲載された短編や、ネット掲示版に書き込まれた心霊体験、林間学校で起こった騒動のルポルタージュ、呪いに怯える読者からの手紙、インタビューのテープ起こし……。断片的な情報が少しずつ繋がり、不気味な真相を暗示するというのはモキュメンタリーの定石だが、本書は引用される雑誌記事などが真に迫っていて、思わず創作であることを忘れそうになった。

 どうやらこのプロフィール不明の著者は、モキュメンタリーの面白さを知り尽くしているらしい。「見つけてくださってありがとうございます」という気味の悪い言葉のリフレインや、悪夢のようなビジュアルイメージ。読者の考察欲をそそる手がかりの数々。それらが渾然一体となって、触れてはいけないものに触れている、という感じを漂わせる。

 それにしても著者はなぜ、“ある場所”を近畿地方に設定したのだろう。ひょっとして小説のモデルになった場所が存在するのでは。そんな妄想すら抱いてしまう、生々しい恐怖に満ちた一冊。当分の間、一人で近畿地方の山やダムには近づかないでおこう、と思ってしまった。

鉱山で栄えた町の七不思議、謎解きが大人への扉を開く

『でぃすぺる』(文藝春秋)は、今村昌弘が初めて手がけたジュブナイル・ミステリーだ。

 小学6年の2学期、掲示係になったユースケ、サツキ、ミナの3人は壁新聞で「奥郷町の七不思議」を取り上げることにした。その七不思議はサツキの従姉で、去年何者かに殺害された「マリ姉」がパソコンに保存していたもの。未解決事件の手がかりを得たいサツキはオカルト否定派の立場から、ユースケはオカルト肯定派の立場から怪談の背後に迫ろうとするが、それはかつて鉱山事業で栄え、近年は衰退するばかりの奥郷町の秘密に触れることを意味していた。

 『屍人荘の殺人』などの本格ミステリーで知られる著者だけに、ユースケとサツキがくり出す仮説はそれぞれ筋が通っている。そのロジックのわずかなほころびを、ミステリー小説好きのミナが鋭く指摘する、という展開が楽しい。ラストで明かされる真相はかなり意外なものだが、論理的に導き出されたただひとつの答えは、オカルト否定派も肯定派もねじ伏せるだけの力を持っている。いやはや、なんともすごい話だ。

 それまで意識していなかった世界の広さに気づき、子どもから大人に一歩近づいた3人の姿が眩しくすがすがしい。ジュブナイルとしても、本格ミステリーとしても、怪談としても楽しめる豊かな作品だった。

日光を舞台に京極夏彦が書き下ろし

 京極夏彦『鵼の碑』(講談社)は、大人気ミステリー「百鬼夜行」シリーズ17年ぶりの書き下ろし長編。ノベルス版にして約830ページという大長編ながら、退屈な部分が一切ないという超絶的娯楽小説だが、詳しいストーリーやテーマについては割愛し、ここでは“場所”に注目してみたい。

 今回物語の舞台となるのは昭和29年の日光。この地に小説家の関口巽をはじめ、おなじみの登場人物たちが、何かに引き寄せられるように集まってくる。ある者は失踪人を追って、またある者は戦前に起こった死体消失事件の手がかりを求めて。

 日光といえば日本有数の観光地だが、「上書き」された歴史をもつ土地でもある。山岳宗教の修行場が大規模な寺院街となり、やがて徳川幕府の天領となって、明治以降は外国人保養地として、国定公園として整備された。何度も荒廃し、その度に復興してきた日光の本質は、関口が語るように「山山」なのではないだろうか。

 それを裏づけるように、『鵼の碑』で描かれる事件は山で始まり、山で終わる。朽ち果てた人工物と自然が対比的に描かれるクライマックスも、荒廃と復興をくり返してきた日光の歴史を想起させるものだ。人々は去り、山だけが残る。独特の儚さと寂寥感を漂わせるこの数奇な物語は、日光という舞台でなければ生まれなかったかもしれない。