東京都内の不透明ガラスの窓を撮影した作品集だ。窓の向こうに人々の生活の気配があり、しかし不透明ガラスだからこそその詳細は見えない。見えないという前提があるからだろうか、窓の向こうの人々は自分達(たち)の生活が外からどう見えているのかに大して興味がないように見える。そんな無造作な写真がほとんどなのだ。そして私は、その無頓着さが好きだった。
人は、自分の生活や人生の全貌(ぜんぼう)を把握することは難しく、むしろ自分だからこそ気づけないことがある。けれどだからといって、他者からはどう見えるのかに振り回される必要はない。この作品集には、そうした他者の目を気にしない態度と、自分の人生や生活を全て把握することに執着しない姿勢が滲(にじ)んで見えていた。そしてそれなのに、私は彼らの生活をこの窓の写真からしか想像できないということが、私には特別に素敵に思える。どう思われるのかなんて興味がない、とされた風景だけを見て、その向こう側の「人」を想像する。それはきっとだいぶ的外れであり、本人には求められていない視点でもあり、それなのに、私はそのとき相手を無防備に思い、とてつもなく近くに感じていたりする。近い、と思いながら、きっとすべてが的外れだともわかっていて、その矛盾の中で人の気配を辿(たど)り続けるのだ。それは窓だけでなく、人が人と対するときに根本的に感じている距離と親しみの表れのようにも思う。いつだって近しいような錯覚の中で、前のめりにその人に関わろうとし、でも一つもその人のことを自分はわかっていないとどこかで知っている。いつまでも遠く、それなのに近さも感じ、だから諦められず、話しかけて、話を聞き、人は人と関わり続ける。会話など一つもない窓を隔てた私と誰かの関係性を感じるこの一冊に、私はどうしてか「会話」そのものを感じている。=朝日新聞2023年10月7日掲載