舞台は明治後期の北海道。世間と距離を置き山奥にすむ猟師・熊爪(くまづめ)は、山の王者である熊をひたすら追い、闘いを挑む。傷を負い猟師として生き続ける道を見失った熊爪は、熊との死闘を経て人間にも熊にも同化できない「はんぱもん」となり、やがて人の倫理からも野性の道理からも外れてゆく。
まだ作家としてデビューしていなかった14年前に書いた物語が、今作の原型となった。当時から変わらない執筆の動機は「熊の恐ろしさを現代に突きつけてみたい」。グロテスクかつ真に迫る恐怖の描写を支えるのは、膨大な資料調査に加え、「人間を含めた全ての動物は人間を殺しうる」という実感だ。
北海道の農家出身。4年前までは作家業と並行して、実家で酪農の従業員をするかたわら肉用の羊を育てていた。毎日世話している家畜でさえ、反抗心をもって向かってくれば恐怖を覚えた。
「まして、野生動物は絶対に人間を愛してくれない」。人間が動物に対して抱く愛着とは、はてしない齟齬(そご)がある。家畜や牧草を無慈悲に狙う野性の脅威に、そんな前提をたたき込まれてきた。
自らの体力と精神力だけをたのむ熊爪の姿は憧れをかき立てるが、感情移入はしがたい。食べるためでも身を守るためでもなく、ただ相手を倒すために熊と闘う姿は「マチズモの願望の権化」。マチズモは山における真実でもある。「弱者は死ぬかコソコソ生きるしかないという、シンプルな条理を書きたかった」
一方、そうした原則を壊すトリックスターになりうるのも弱者だ。盲目の少女・陽子の存在をきっかけとして、それまで群れを必要としなかった熊爪に、誰かを大切に思ったり家族を夢見たりといった「エラーが起きてしまう」。
「動物を描くことによって人間特有のものをあぶり出したいという願望が、私の物書きとしての根っこにある」と河崎さん。町では美点として扱われる人間らしい情も、山に持ち込めば「愚かしさ」へと反転する。
生きる場所が異なれば、正しさの基準も変わる。町の住人が熊爪に向ける視線は、現代の差別にも通じている。
「かつて私もいた畜産の場では、肉にするために大事に育てて、出荷する。でも、令和の消費者は、食べるために肉を得ることを完全にアウトソーシングして生きている」。食肉処理や害獣駆除への抗議には、矛盾を感じる。
ただ、殺処分に反対する気持ちもわからないではないと、河崎さんは言う。「人間が住んでいないところに元々いた命をどうか殺さないでほしいというのは、人間らしい優しさであり、その感情自体はすごく自然で尊い」
この秋、市街地に出没する熊の駆除に取り組む自治体に対して、執拗(しつよう)な抗議電話や中傷が相次いだ。「自然に対する畏怖(いふ)の象徴として、現実の熊ではない熊を見ている方もいるのでは」と河崎さん。「信仰をもたない人が多い現代社会でも、何かを畏怖したい欲求がまだあるのかな」
だからこそ、物語を通して人々に過度なイメージを植え付けてはならないと自戒している。「人の意識にまで影響するのは良い創作物の証しでもあるんですけれど。そこも矛盾ですよね」(田中ゑれ奈)=朝日新聞2023年12月6日掲載