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妖怪の足跡求めて西へ東へ! 村上健司さん、多田克己さん「それいけ! 妖怪旅おやじ」インタビュー

村上健司さん(左)と多田克己さん=種子貴之撮影

伝説の土地を訪ねて楽しむ

――『それいけ! 妖怪旅おやじ』は、妖怪にまつわる土地を訪ねた旅の記録です。お二人が続けている妖怪伝説探訪とはどのようなものなのか、まず教えていただけますか。

多田克己(以下、多田):日本には妖怪伝説の残る土地が各地にあります。ここに妖怪が現れたとか、ここで退治して埋められたとか。パターンは色々あるんですけど、そう伝えられている土地がある。それを訪ねて楽しむという旅ですね。

村上健司(以下、村上):調査目的ではなくあくまで趣味、観光旅行なんですよ。妖怪が出たという場所を見て「ここか!」と感動し、遺物があるなら写真を撮ったり撫でさすったりする。多田さんは妖怪研究の糧にしたいという理由もあるでしょうけど、僕の場合、ただ楽しいから行っているというのが大きいです。

多田:柳田國男の『遠野物語』を読んだら、遠野に行ってみたいなあと思いますよね。河童が出たとされる淵を見てみたくなる。それと同じことを全国規模でやっているという感じです。

――妖怪好きの間ではメジャーな趣味なのですか。

多田:そんなことはないと思う。むしろ少数派じゃないかな。

村上:我々の師匠にあたる水木しげるさんは、妖怪を探し求める旅というのを、海外含めて続けていましたが、あくまで書物の中で妖怪を楽しみたい、という人も多いと思います。事典を読んだり、絵を見たりという楽しみ方もありますからね。僕はもともと外に出るのが好きで、そこに妖怪という趣味が重なってきたんです。

『それいけ! 妖怪旅おやじ』(KADOKAWA)

子どもの頃から同じことをやっている

――お二人が妖怪の伝説地をめぐるようになったのはいつ頃からですか。

村上:13、4歳の時ですね。公立図書館の郷土資料に地元の石仏や庚申塔が紹介されているのを見つけて、それを自転車でまわって写真を撮ったり、記事にまとめたりしていました。本当は妖怪スポットに行きたかったけど、近くにそんな場所はないから、石仏や庚申塔で渇きを癒やしていたんです。

多田:記事まで書いてたの? やってることが今と全然変わらない(笑)。

村上:40年間ずっと同じ。高校生になると公共交通機関でもう少し遠くに出かけるようになって、車の免許を取ってからは鬼に金棒(笑)。気になる場所に自由に出かけるようになりました。多田さんは?

多田:似たようなことは小学生の時からやっています。近所の川沿いにある神社がすべて一筆書きでたどれるんだと知って、それを巡って確かめてみたり。でも泊まりがけで出かけるようになったのは、フリーの物書きになってからだから、村上君よりずいぶん遅い。それまでは仕事が忙しくて、遠出をするのは時間的に無理だったんです。

――お二人は妖怪業界の名コンビとして知られていますが、一緒に旅をするようになったきっかけは?

村上:名コンビかどうかは微妙なところですが(笑)、僕が「妖怪愛好会隠れ里」という妖怪好きの集まるサークルをやっていて、そのメンバーとよく妖怪伝説探訪に出かけていたんです。初めは近場でしたが、そのうち車に分乗して泊まりがけで出かけるようになった。そこに多田さんが隠れ里に加わったんですよ。最初に出かけたのが2泊3日の鳥取・出雲ツアー。あれが1991年ですから僕は20代の青年で、多田さんもまだ30代だった。

多田:あの旅はきつかったなあ(笑)。9人が2台の車に分乗して、夜通し運転して東京から行くんだもん。現地でもみんなほとんど寝てないし。

村上:その後、僕も勤めを辞めて、時間に融通が利くようになったので、じゃあフリーの二人であちこち行ってみようと一緒に動くようになったんです。出版社から同じ仕事を任されることも多かったですし。一番長くいたのは1997年の九州・四国旅行。講談社の児童書の取材で、半月みっちりと妖怪関係の場所を巡ったんですが、3日目からは喧嘩ばかりでしたね。

――お二人はよく喧嘩されるそうですね。京極夏彦さんの小説『今昔続百鬼 雲 多々良先生行状記』でも、お二人をモデルにしたと噂されるキャラクター(沼上蓮次と多々良勝五郎)は旅先でしょっちゅう喧嘩しています。

村上:京極さんの小説はもちろんフィクションなんですけど、いかにも僕らがやりそうなことを書いている。少なくとも喧嘩が多いのは事実ですね。だってこの人、マイペースなんだもん。

多田:(笑)

村上:多田さんは免許を持っていないから、旅先では僕が運転するんですが、ルートの指示が滅茶苦茶なんですよ。行きたい場所があったら一直線で行かせようとするので、とんでもない悪路を走らされることになる。地元の人に「この道を車が走っているのを初めてみた」と驚かれたこともあります。時間がなくて急いでいるのに、古本屋を見たら入ろうとするし。今度の本には、お互い年を取って丸くなったと書いたんですが、いざ旅に出てみたらそうでもなかったですね(笑)。

村上健司さん=種子貴之撮影

コロナ禍でひねり出した企画も

――今回の『それいけ!妖怪旅おやじ』では、お化けの総合誌『怪と幽』(KADOWAKA)の企画として河童伝説の残る茨城県、酒呑童子にゆかりのある新潟県、九尾の狐を封じた殺生石が点在する栃木県などを巡っています。一連の旅をふり返ってのご感想は。

村上:あまり予算のある企画ではないので、どうしても東京近郊が中心になってしまいました。仕方ないんだけど、それが残念といえば残念ですね。果たして都内をレンタカーで走り回るのを、旅と呼んでいいのだろうかと(笑)。もうちょっと遠出して、じっくり時間をかけて巡りたかったなというのが正直なところです。

多田:旅というからには2泊か3泊はしたいよね。ただ今回はコロナの影響もあって、遠出がはばかられるという事情もあって。できるだけ近場で、さっと行って帰ってこられる場所を見つける必要があったんですよ。

村上:苦し紛れにひねり出した企画が案外面白かったりして、そこは怪我の功名だったなと思います。江戸の七不思議の「妖怪部分だけ」を訪ねるとか、国道16号線沿いのダイダラボッチの伝説地を巡るとか。コロナ禍でなければ、わざわざやろうとは思わなかった。

――資料を頼りに出かけてみても目的地が見つからない、ということもあるようですね。

村上:よくありますね。新潟の国上山に酒呑童子の住処だったという岩窟があるんですが、資料を見ても大まかな場所しか分からない。地元の方も知らないというので、勘を頼りに山道を歩くしかなかった。無事見つけられてほっとしました。

多田:最近はネットに地元の妖怪情報を上げている人も増えてきたんですが、鵜呑みにはできませんから。最終的には自分たちで歩いて、確かめてみるしかない。そこが宝探しのようで面白いともいえる。

村上:旅行をしていて、土地の人に積極的に話しかけることって、あまりないじゃないですか。せいぜいお店の人と会話するくらいで。その点、妖怪探訪は分からないことだらけなので、各地の郷土資料館にお世話になるし、通りがかりの人を捕まえて話を聞く。そういうハプニングの楽しさはありますよね。

――しかし毎回かなりのハードスケジュールですよね。一日中歩き回って、数え切れないほどのスポットを訪れています。

多田:新潟の回や江戸七不思議の回などは、情報が多すぎて前・後編になっています。足を運んだのに記事になっていない場所もある。もったいないけど、そうしないとページがいくらあっても足りない。

村上:基本は多田さんと僕の行きたい場所に行くというコンセプトなんですが、記事にまとめることを考えたら、のんきに楽しんでばかりもいられない。ここも見ておきたい、あそこは外せないという感じで、結局予定がびっしりになりますよね。せっかく那須まで行って殺生石を見るなら、周辺の殺生石もできるだけ巡るよね、という感じで。

多田:それに妖怪関連の場所って、いつ消えてなくなってもおかしくないんです。実際さいたま市にあったダイダラボッチの池は、我々が訪れる前年に埋め立てられている。この機会を逃すと、二度と来られないかもしれないと思うと、あちこち足を伸ばしたくなる。

村上:さんざん苦労してたどり着くのは、岩だったり池だったりするんだけど(笑)、土地の人々がそこで妖怪の伝説を語り継いできたと思うと、ロマンを感じます。感じませんか? おかしいなあ。

多田克己さん=種子貴之撮影

行ってみたいという気持ちをまず高める

――ではこれから妖怪伝説巡りを始めたいという人に、アドバイスはありますか。

村上:まずは民話集なり妖怪の資料なりを読んで、この場所に行きたいという気持ちを高めることが大切ですよね。それこそ水木しげるさんの本でもいいですし、柳田國男の『妖怪談義』でもいい。各自治体がホームページで紹介していることも多いので、そういうものを参考にしてもいいでしょう。

多田:僕らみたいに近場から始めるのもいいんじゃないですか。カルチャースクールの生徒とよく都内の七不思議巡りをやりますが、結構評判がいいですよ。半日で本所七不思議巡りとか、散歩コースとしてもちょうどいい。

村上:わざわざ行くのではなく、何かのついでに気軽に立ち寄ってみる、というのもアリですね。浅草の浅草寺にお詣りするついでに、近くの河童寺にも行ってくるとか。それで面白いなと思ったら続けたらいいし、そうでもなかったらやめていいです(笑)。無理やり続けるような趣味でもないですから。

――今回の旅には『怪と幽』編集長のRさんが、新たなる旅おやじとして参戦しています。二人旅から三人旅になって何か違いはありましたか。

村上:R君は面白がって多田さんと僕を喧嘩させようとするんだけど、三人だとそこまでぎすぎすした雰囲気にならないんですよね。バランスがいいというか、お互い緩衝材になるからぶつからない。

多田:R君は昔からよく知っているから、道中くだらない話もできるし。そういう意味でも良かったんじゃないですか。

村上:それとR君が加わったことで、地元の人にもよく声をかけられるようになりました。多田さんと二人ではまずなかったので、やっぱり我々は怪しかったんだなと。三人もいると「おじさんたちが集まって何をやってるんだろう」と、意外に興味を持ってもらえるんです。

――『怪と幽』の連載はまだまだ続くようですが、お二人それぞれお相手に望むことはありますか。

多田:村上君に対しては特にありません。これは編集部への希望だけど、できたらもうちょっと予算をつけてほしい。東京近郊だとどうしても二度三度と行ったことのある場所になるので、記事を書くのもつらいものがある。泊まりがけで四国や九州まで足を伸ばしたいです。

村上:そのためにはこの本が売れないと。多田さんへの要望も、ここまできたら特にないですね。このまま自然体で生きていてほしい。ただ無理をして怪我だけはしないでほしいです。先日も『怪と幽』の取材で長野県に行ったんですが、とんでもなく険しい岩山を歩く羽目になって、あわや大惨事というところだった。我々も確実に足腰が弱っているので、そんな状況でどう旅を続けるかがこれからの課題ですかね。将来的には「それいけ!妖怪旅さんぽ」という企画になっているかもしれません(笑)。