ISBN: 9784760155330
発売⽇: 2023/09/26
サイズ: 19cm/303p
「謝罪論」 [著]古田徹也
真摯(しんし)な謝罪を受けたことがありますか。謝罪に噓(うそ)を感じたことはありますか。うまく謝れなかったことはありますか。
心当たりがあるのなら、ぜひ本書を開いてほしい。『言葉の魂の哲学』(講談社)などを通じ、言葉に命が宿る瞬間を探索し続ける哲学者が謝罪の真実に迫る。
まず「謝罪とは、互いに関連し合う多種多様な行為の総体」という序文の説明に拍子抜けしたことをお伝えしたい。こんなの何にでも当てはまりそうじゃないか。謝罪して!(冗談です)
しかし読み進めると、謝罪をそうとしか定義し得ないことに合点がいく。
例えば、本書が注目する謝罪は、肩がぶつかり、「すみません」と言って終わるようなそれではなく、相手が階段から転げ落ち骨折をするような、相手の損害が比較的甚大な時に必要となる「重い謝罪」だ。
しかし「重い謝罪」と言っても一筋縄にはいかない。損害が意図的に引き起こされた場合、過失による場合、過失ですらない場合。自分の国が過去に犯した過ちや、自分の親が犯した何事かを謝らねばならない場合。このそれぞれにおいて「重い謝罪」の意味合いも、やるべきことも変わってくる。
謝罪をさらに複雑にするのが受け手となる相手の存在だ。謝罪は受け取ってほしいが、そうなるとは限らない。失敗は事態の悪化を招く。
でも謝罪の誠(まこと)が受け取られた時、言葉に魂が宿る。関係性を紡ぎ直し、歩み直そうという希望が両者の間を灯(とも)す。謝罪はただの言葉だ。謝っても損害は回復されない。でもその言葉があって初めて生まれる始まりがある。重い謝罪の成功は僥倖(ぎょうこう)と言う名の刹那(せつな)かもしれない。そう本書を閉じて感じ入る。
著者が刹那それ自体を哲学する日は来るだろうか。今は縁の形を克明に描きとりながら、その深淵(しんえん)を覗(のぞ)き込んでいるように評者には思えた。
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ふるた・てつや 1979年生まれ。東京大准教授。専攻は哲学・倫理学。著書に『いつもの言葉を哲学する』など。