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ゲーム音楽の誕生を支えたパイオニアたち 「ナムコはいかにして世界を変えたのか」鴫原盛之さんインタビュー

鴫原盛之さんのゲーム音楽CDコレクション=本人提供

音楽で世界に先駆けたナムコ

――本書は往年のゲーム音楽の関係者への取材、当時の発行物やゲーム音源そのものに丹念に当たってひもといたゲーム音楽史です。中でもナムコに着目したのはなぜでしょうか?

 ナムコは1980年代、当時のゲームファンに語り継がれる名作をたくさん出していました。今回はアーケードゲームに特に着目しましたが、「黄金時代」と呼ばれるほど、80年代初頭から半ばに傑作が集中しています。中でもすごいのが、同業他社に先駆けて、ゲーム音楽を鳴らすためだけに独自の音源をカスタマイズして造り上げた点です。ヤマハのデジタルシンセサイザー(ヤマハ・DXシリーズ)と同じ原理で音が鳴る仕組みを、同社の製品の前に作っていた。音楽にある程度精通した技術者が社内にいたのです。

 史上初のゲーム音楽アルバムと言える1984年の「ビデオ・ゲーム・ミュージック」(「パックマン」「ゼビウス」など収録)も全部ナムコの曲でした。元YMO の細野晴臣さんがいちから監修し、アレンジ曲まで入れました。最先端のアーティストである細野さんをうならせる、十分なクオリティーを持った音楽をナムコは作っていたのです。

 特に本書を書く直接のきっかけとなったのが2019年に聞いた、ナムコの元コンポーザー(音楽制作者)大野木宣幸さんの訃報でした。当初は彼の伝記を書きたいと思ったのですが、最終的にナムコ全体にフォーカスすることになりました。

(Via Getty Images)

「ゲーム音楽の父」だった大野木宣幸さん

――「ニューラリーX」「ギャラガ」「マッピー」などナムコの多くの名作で音楽を手掛けた大野木さんについて、本書でも彼の足跡や人柄を詳細に追っていますね。

 大野木さんはゲーム音楽を創ったパイオニアと言って差し支えない人物です。それまでのビデオゲームにはプレイ中、バックでずっと音楽を流す文化がありませんでした。例えば「スペースインベーダー」などで聞こえてくるのは敵が動く効果音、ビームの発射音、爆発する音程度でした。彼は効果音とは別に本格的な音楽を導入した。クラシック音楽で言えばバッハのような人、ゲーム音楽の父でした。しかし今や多くの人に忘れ去られ、同業者の間でも知る人ぞ知る存在になってしまいました。

――それほどのゲーム業界の大物がなぜ忘れ去られかけていたのでしょうか?

 黎明期だった昭和の頃、ゲーム業界は閉鎖的な世界でした。まず作り手がメディアに出ない。新製品のリリースは出しても、開発者への取材はメーカーがお断りするのが普通でした。顔と名前がばれて競合他社に引き抜かれるのを恐れていたのですね。大野木さんも一時期はメディアに出ていましたが、一般の人向けの情報としてははなかなか残らなかった。今のゲームであれば映画と同じように、クリア後にスタッフロールが流れますが、ナムコに限らず、 初期のアーケードゲームにはエンディングがなかったのです。エンドユーザーにとってゲーム音楽の作曲者情報が乏しい時代は長らく続きました。

(Via Getty Images)

消える当事者、時間との戦い

――80年代といえば既に40年近く前。どうやって情報を集めたのですか?

 本書を書くにあたって30人弱の関係者に取材しました。長年私が培ってきた、ナムコをはじめとしたゲーム業界との伝手が活きました。ただ、取材協力をお願いしようと思っていたナムコの関係者が2021年頃、次々と他界されて貴重な情報を聞き逃してしまったことが悔いとして残っています。コロナ禍の最中で、高齢の方々に取材を無理にお願いすることができなかったのもありますが……。ちなみに本書の取材対象で最高齢は、「パックマン」のジングルを作曲した甲斐敏夫さん。戦前生まれの方です。

 大野木さんが亡くなった時に「ゲーム音楽の起源について書き残さないと、当事者がいなくなってしまう」と気づきました。本書のようなオーラル・ヒストリーの執筆は、まさに時間との闘いです。この機会にゲーム音楽の歴史をまとめておかなくては、同じ物が今後書ける保証はないと痛感しました。

(Via Getty Images)

ゲーム史に氾濫する偽情報

――ゲーム史を巡っては、関係者や専門家から多くの間違いが指摘されて販売中止に追い込まれた『ゲームの歴史』(講談社)が記憶に新しいです。ゲームという、ファンが多く過去のデータもインターネット上に蓄積されているように見えるジャンルにおいて、いい加減な著作が出てしまったのはちょっと意外でした。

 ウィキペディアなどでもゲーム関連のデマや偽情報が出回っているのを見ます。ゲームはコンピュータを使って動かす以上、その専門知識が必要になります。無いままゲーム史を語ってしまうと、嘘が嘘を呼ぶことになりかねません。

 また、(古い)ゲーム音楽の調査で難しかったのが、「プレイする腕がある程度ないと聞けない」点です。アクションのジャンルで顕著なのですが、あるゲームの音楽をすべて聞くには全ステージをクリアする必要があります。作中の登場人物や地名などを書き写す際も、ゲームをやり直さないと文字情報は出てこない。古いタイトルだとゲーム機自体が動かない問題もありました。

(Via Getty Images)

ゲーム史の「劣化」に立ち向かう

――デジタルメディアであるゲームの歴史をひもとく作業は、意外にもアナログだったのですね。

 デジタルコンテンツだからこそ、記録を手元にちゃんと残しておかないと情報の劣化が進みます。ファミコンの本体とカセットを保管していてもいつか壊れますよね。オンラインゲームは配信終了すると二度と同じ形でプレイできません。2000年頃の携帯電話(いわゆる「ガラケー」)のゲームを振り返ろうとしても、情報収集が意外とできなかったりするものです。

 歴史を知る人もいつかいなくなります。『ゲームの歴史』が販売中止に追い込まれたのは、間違いを指摘できる人が世の中にまだいたからです。私たちが中世ヨーロッパのクラシック曲を今でも聞けるのは、当時の演奏者たちが譜面や演奏のノウハウを残していたからです。本書のような記録を残していかないと、過去のゲームの情報は歴史の彼方にどんどん消えていってしまう。

 ゲーム音楽の先人たちは試行錯誤してゼロからジャンルと市場を創りました。中でも当時、二歩も三歩も先に行っていたのがナムコです。ビデオゲーム自体の故郷は北米でしたが、本格的に音楽を作るゲームメーカーはナムコの前に現れませんでした。世界に先駆けてゲーム音楽を創ったのは日本だったことを、どうか忘れないでほしい。

――ちなみに一番気に入っているゲーム音楽はどのタイトルですか?

 ひとつ挙げるとすればナムコのシューティングゲーム「ギャプラス」です。小学生の時にスーパーマーケットに置いてあって、たまたま見つけて衝撃を受けました。私がゲームに携わる仕事をしたいと本気で思うきっかけになりました。お墓に持って行きたい曲ですね。