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北沢陶さんが子どものころに感じたオルゴール音楽の「かなしさ」の本質は

©GettyImages

 私の忘れられない音楽は、ひとつの箱の中にある。

 幼いころ、家で木製の箱を偶然見付けた。直方体で大きさはちょうど子どもの膝に載るくらい。表面はチョコレート色で、蓋の中央には金属の細かな装飾が施されており、右上と左下には木彫りの飾りがある。蓋を開けると内側は赤いビロードで覆われており、蓋の裏には鏡が貼りつけられていた。

 底にある銀色のネジを見て、これがオルゴールなのだと知った。

 誰がどこで手に入れたものなのか、いつから家にあったのかは分からない。私にとってそれはどうでもいいことだった。何度もネジを回し、ひたすらオルゴールから流れる音楽に耳を傾けた。

 楽しい曲調ではなかった。むしろもの悲しく、寂しげで、けれども聴かずにはいられないメロディーだった。本棚とクローゼット、学習机しかない殺風景な子ども部屋で、私は板張りの冷たい床に座り、オルゴールの音を聴いた。子ども心に、無性に胸をかきむしられる思いがしたことを覚えている。

 オルゴールにかき立てられた気持ちは、また別の場所でも味わうことがあった。

 当時私は主人公が別世界に迷いこむファンタジー小説に夢中だった。そしていつか自分も何かのきっかけで、別世界に行けるものだと信じていた。現実に大きな不満があったわけではない。ただひたすら、「見たこともない世界」に行きたかったのだ。

 そのころ遊びに行っていた公園には、林とも呼べないような木立があった。木立といっても向こう側は見えず、私は「この木々を抜ければ別世界がある、今生きている世界とは違う何かが待っている」と信じて、毎日のように木立を進んだ。が、奥にはフェンスがあるだけで、別世界などなかった。どれほど願っても届かない世界があるということを認められず、幾度も木立を駆けた。そしてフェンスに突き当たった。

 何かに手を伸ばしてもどうしても届かない。そういう感覚が、オルゴールの曲を聴くときにも迫ってきた。メロディーのためか、オルゴール独特の音色のためか。恐らく両方なのだろう。

 心の底から願うことが叶わない痛烈なかなしさ、と名付けることはできるだろう。けれども幼いころに繰り返し味わった形のない感情は、もっと矛盾した、理屈のないものだった。あえて言葉にするなら、私はその「かなしさ」を感じるのと同時に、決してたどり着くことのできない世界に手を伸ばし続ける「かなしさ」が欲しかったのだ。

 ちなみにそのオルゴールは今でも手元にあるが、曲名を知ることはなかった。一度ショッピングモールで偶然この曲のメロディーが流れたとき、家族に必死で「これは何ていう曲!?」と訊いたのだが、誰も知らなかった。

 今回のコラムを書くにあたって曲名を知ろうと思い、曲名検索のできるアプリを使ったところ、少し苦戦したが見付けることができた。1968年の映画「ロミオとジュリエット」のために作曲された、「ロミオとジュリエット 愛のテーマ」(Love Theme from Romeo and Juliet)だそうだ(英詞ボーカルバージョンはA time for us)。

 あの公園の木々は後に伐採され、切り株の向こうにフェンスが見えるだけとなった。長年探し求めていた曲名も分かった。別世界への夢は消え、曲名の謎も解けた。

 しかしいまだこのオルゴールを開き、メロディーに耳を傾けるたびに、幼いころに感じた「かなしさ」だけは、少しも薄れることなく、私の胸に染み渡ってくる。