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「宇宙に質量を与えた男」 素粒子の名となった学者の人生 朝日新聞書評から

評者: 石原安野 / 朝⽇新聞掲載:2024年01月20日
宇宙に質量を与えた男ピーター・ヒッグス 著者:フランク・クローズ 出版社:早川書房 ジャンル:伝記

ISBN: 9784152102744
発売⽇: 2023/10/04
サイズ: 19cm/383p

「宇宙に質量を与えた男」 [著]フランク・クローズ

 素粒子は宇宙の最小部品だ。つまり、宇宙をこれ以上細かくできないところまで分解したときに現れる部品をまとめて素粒子と呼んでいる。
 しかし、物を極限まで分解していくことで発見されたのは現在17種類あると考えられている素粒子のごく一部。多くは、初めに、宇宙はこのように成り立っているという理論を作り、そこから得られた予言に沿って探すことで見つかった。
 研究者が目の色を変えて追い求める小さな素粒子。我々はその存在を通して宇宙の成り立ちを確認する。
 宇宙にあるのは物をつくる素粒子だけではない。それだけでは部品はバラバラのまま。素粒子を結びつける何か――我々はそれを力と呼ぶ――が必要だ。そのような力もまた宇宙の構成員であり素粒子だ。例えばあなたの瞳にぶつかり電気信号を作り出すことで外界の情報を教える光。そんな身近な光も力を伝える素粒子の一つなのだ。
 素粒子の中で唯一、人の名前で呼ばれる素粒子がある。ヒッグスだ。物質の重さ、その根源もそれらを構成する素粒子にある。ヒッグスは素粒子が質量を獲得する仕組みを担う。
 理論の提唱者の一人、2013年のノーベル物理学賞受賞者でもあるヒッグス氏の人生を、同じ英国人理論物理学者で、長年、氏をよく知る著者が描く。
 ピーター・ヒッグスをノーベル賞受賞へと導いた論文は1964年に35歳で書いた短い論文2編とその2年後に出版した論文の1編。それ以降は1編しか研究論文を書いていない。一分野が立ち上がるきっかけとなる論文を書きながら、自らそれを発展させることをせず、共著論文も書かない。
 分野の盛り上がりから距離をおくかのようなヒッグス氏であったが、ヒッグスの検出が物理学の最重要課題の一つとなり、そのための加速器実験に巨額の予算が必要になると、政治的な場に駆り出されるようになる。メディアの関心もまた氏へと向けられ、例えば、ホーキング博士との対立をあおることで市民の関心をかき立てる。
 自身の理論が実験で立証されるのは大きな喜びだ。しかし、期せずして巨大プロジェクトに巻き込まれていったことは、ヒッグス氏をして「人生を台無しにした」とまで言わしめた。ノーベル委員会からの授賞決定の電話にも雲隠れをして出ない。謙虚で目立つことが嫌いな“超有名”科学者は、名声よりも「一人で平穏に仕事をする」ことを望み、「ヒッグス発見」前も後も変わらない。変わったのは我々のほうなのだ。
    ◇
Frank Close 1945年生まれ。オックスフォード大理論物理学名誉教授、英国王立協会フェロー。長年、一般への物理学の紹介と普及に努めている。著書に『宇宙という名の玉ねぎ』『ヒッグス粒子を追え』など。