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「メタゾアの心身問題」書評 両極端の中間にある多様な世界

評者: 福嶋亮大 / 朝⽇新聞掲載:2024年01月20日
メタゾアの心身問題 動物の生活と心の誕生 著者:ピーター・ゴドフリー=スミス 出版社:みすず書房 ジャンル:生命科学・生物学

ISBN: 9784622096627
発売⽇: 2023/12/19
サイズ: 20cm/291,60p

「メタゾアの心身問題」 [著]ピーター・ゴドフリー=スミス

 著者はタコの心の謎に挑んだ前著で、一躍名を馳(は)せた哲学者である。本書ではメタゾア、つまり多細胞の動物一般にまでその分析の範囲が広げられる。サンゴ、ヤドカリ、昆虫、イルカ……これらの生物の心はどう理解されるだろうか?
 このテーマに関して、一方の極にはあらゆる物質に心の可能性を認める汎心論(はんしんろん)があり、他方の極には人間以外の心を一切認めないデカルト主義がある。著者はこの両極端の中間にこそ、繊細なニュアンスに富んだ動物の心を見出(みいだ)す。心の進化には複数のルートがあり、経験の特性も時間をかけてじわじわと形成されてきた。ゆえに人間と比べて、少しだけ(あるいは異質の)心や主観性をもつ動物もいるわけだ。
 例えば、タコは脳だけでなく8本の腕にも高度な神経系をもつ。ならばタコの心ではメインの「脳=自己」とサブの「腕=自己たち」が共存しているのか。それとも自己が1の状態と9の状態をそのつど切り替えているのか。興味は尽きない。タコよりは単純であろう甲殻類の心も、痛みに近い何かを感じられる可能性が高い。その甲殻類の親戚にあたる昆虫ですら、主観性をもたないロボット的生物とは言い切れない。
 さらに、夢や追想のように、意識を「いま・ここ」の環境から切り離す「オフライン処理」も、どうやら人間特有の能力ではない。コウイカやラットの研究は、動物の心がある程度「ここではないどこか」を想像し得ることを示唆する。意識は0か1かではなく、その間に濃淡があるのだ。
 本書の多くの見解は暫定的な仮説に留(とど)まるので、厳密さや明快さを求める読者には物足りないだろう。それでも、人間の心を絶対の尺度とするのをやめたとき、メタゾアの心の世界はなんと晴れやかにその多様なありさまを示すことか! この新鮮な驚きは、心の哲学から人工知能研究、動物の福祉に到(いた)る諸分野を活気づけるに違いない。
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Peter Godfrey-Smith 1965年生まれ。豪シドニー大教授。専門は科学哲学。著書に『タコの心身問題』など。