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ことばと新人賞・池谷和浩さん 信奉と創作は共存する――千葉雅也になれない僕が書く、僕だけの小説 連載「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」#9

池谷和浩さん=撮影・武藤奈緒美

圧倒的だった「千葉先輩」のかっこいい文章

 この連載の更新をXで告知すると、毎回「いいね」を押してくれる人がいた。アカウント名「池谷和浩」を覚えた頃、その名前を〈ことばと新人賞〉決定のニュースに見つけた。勝手ながら身内が受賞したように感じ、とても嬉しかった。

「連載第1回で市川沙央さんが千葉雅也さんの作品に影響を受けたとお話しされていて、それをきっかけに毎回読むようになりました。じつは、千葉さんは僕の高校の1学年上の先輩。そして僕は、千葉さんの最古のファンなんです」

 池谷さんと千葉さんの母校は、読書感想文の校内コンテストに力を入れていて、毎年、前年の受賞作品集が配られる。そこで目にした千葉さんの文章に、当時入学したばかりの池谷さんは陥落した。
「ひとりだけ圧倒的な美しい言葉で、なにが書かれているかわからない、でもすごいことが書かれていることだけはわかる――。こんなにかっこいい文章があるんだと目が覚める思いでした。千葉さんに近づくには僕も賞をとるしかないと考え、俵万智の歌集の感想文を出品。前年に引き続き受賞した千葉さんといっしょに表彰されることになり、その壇上で『千葉さんとお話がしたいんです』とアピールしました」

 以来、家の黒電話で話す仲に。長野まゆみ、稲垣足穂、エヴァンゲリオンなどさまざまな作品を教えてもらったのだそう。では、小説家を目指したのも千葉さんの影響?
「いえ、中学生の頃にはもう小説を書いていました。新人賞に初めて応募したのは高校2年のとき。それが1次選考を通過し、名前が文芸誌に載ったもんだから、そこからすっかり〈小説を書きたい人〉になってしまいました」

千葉雅也と並んで心酔しているのが野田秀樹。「受賞作の登場人物の名前は野田秀樹にちなんだものをつけました。意味があるわけではなく、そうすれば自分は書けると思ったのです」=撮影・武藤奈緒美

パンデミックと断酒をきっかけに〈書けなさ〉克服

 その後、野田秀樹に傾倒し、大学では演劇にのめり込んだ。書いた戯曲を小説にし、小説をまた戯曲にする。演劇と小説は地続きだった。在学中はもちろん、社会人になってからも断続的に「文藝」「群像」「文學界」などに応募。2次選考まではいくものの、そこから先に進めなかった。
「最終選考に残ることが長年の目標でした。受賞はコントロールできないけれど、最終選考なら努力すれば辿り着けるはずだと思ったんです」

 長い執筆生活の中にはたびたび書けない期間も訪れた。
「僕は『今日は書きたい』って30年間思い続けてきました。仕事を前もって進めるのも、家にものをなるべく置かないのも、突き詰めれば小説に集中するため。小説以外の物事を全部終わらせたら書けるんじゃないかってずっと思ってた。でも、終わらないし、いざ机の前に座っても一文字も進まないのです」

 何度目かの書けない期間にいた2019年、千葉さんが小説を書き始め、『デッドライン』で野間文芸新人賞をとった。悔しさはなかったのだろうか。
「千葉さんに対しては素朴な憧れだけがあるので、嫉妬したことはないんです。これが同学年だったら嫉妬に狂ってたかもですが。むしろ『デッドライン』以降、千葉さんの小説の書き方に対しての発信が増えていってすごく勉強になりました。小説家志望の人は、千葉さんのXを3年分くらい読むといいですよ。嫉妬はいい仕事を阻むものだと千葉さんもおっしゃっています」

 その年の暮れにはパンデミックが起こり、翌2月には職場でテレワークが導入され、朝の時間がぽっかり空いた。
「偶然の重なりから、僕は〈書けなさ〉を克服できました。まず、当時浴びるように飲んでいたお酒をきっぱりやめたんです。職場のオンライン飲み会ですら二日酔いになるまで飲み、翌日また朝から飲もうとしている自分に恐怖を感じたのがきっかけです。また、2021年に佐々木敦さんによる映画美学校の言語表現コース〈ことばの学校〉が開講し、千葉さんがゲスト講師になると知って、1期生になりました。そして、〈朝早く起きて留保なしに書く〉という新しい書き方を始めました。これも千葉さんの影響で編み出したものです」

 まず小説を「企画=モチーフ設定」「設計=プロット」「開発=執筆」「検証=推敲」の四つのフェーズに分けて考える。企画と設計をしっかり決めたら、あとは朝に前もって予定した場面を予定した文字量までとにかく書く。
「千葉さんの言葉に『書かずに書く』というものがあって、それを目指したんです。生きているなかで無意識にずるっと出てくるものを書こうと。それだけだと、ただ書き散らしただけになるけれど、設計がそれを下支えしてくれるはず。いわば人工的に呼び込んだ無意識で書いたんです」

毎朝、窓に暗幕をかけた小部屋で執筆。余分なものはなにも置かず、目に入らないようにし、小説だけに集中する。「朝のパフォーマンスに全振りしています」=撮影・武藤奈緒美

「やった方がいい」という言葉が嫌い

 この方法で書いた2作目が受賞作「フルトラッキング・プリンセサイザ」だ。なぜ、「ことばと新人賞」に応募しようと思ったのだろう。
「有名な箴言に『やり方を変えずに違う結果を期待するのは狂っている』というものがあります。僕がこれまで落選してきた賞の選考委員は全て小説家でした。でも、ことばと新人賞には書評家の豊﨑由美さんがいる。ここに懸けてみようと思ったのです。それから、文章歴や名前・年齢など個人情報が伏せられて選考されるのもポイントでした。僕は40代半ば。プロフィール的に“おじさん”はやっぱり弱い。もちろん、プロフィールで落とされてる、なんてつまらないことは思わないですけど、高校の時に1次通過したのはやっぱり若さと可能性に対しての応援が含まれた結果だったと思うんですよ。だって、明らかにあのときよりいい作品を送っても1次も通らないことがある。〈ことばと〉なら、小説の中身だけで真剣勝負できると思いました」

 振り返ってみて、なぜ「フルトラッキング・プリンセサイザ」は受賞できたと思いますか。
「主人公のうつヰを書くのはこれが2作目でした。だからうつヰのことを僕がよく理解し、相性もよかったのだと思います。すべての小説は次の作品の習作ともなりえるんです。また、この小説は3部構成なのですが、1部と2部はガチガチにプロットを固めて書き、3部はそこから立ち上がってくるものを書こうとあえてノープランで臨みました。すると、思わぬラストにたどり着いたんです。書き終わってやっとこの小説がなんだったのかわかった――初めての手ごたえでした」

 長年、教育業界に携わり、現在は大学事業の統括を担う池谷さんの答えには、私たち〈なりたい人〉への教訓が散りばめられている。さらにアドバイスを求めると、「僕、〈やった方がいい〉って言葉が大嫌いなんです」と返ってきた。
「〈あの作家みたいな〉とか、〈この旬のモチーフで〉とか、誰かのトレースじゃなくって、もう自分がやっちゃっていることに着目してほしいんです。そこにその人だけの強みと魅力があり、それを自己分析して伸ばしていくことが大切。って、これも千葉さんの受け売りなんですが(笑)」

受賞作のモチーフとなったVRは、もともと大学の実習用教材として馴染みがあった。「書いてみてわかったのですが、あの小説には僕の職場で最も尊敬するある人への思いが込められています」=撮影・武藤奈緒美

自分はスターじゃないと知っている

 ちなみに、受賞に対する千葉さんの反応は?
「受賞の報告をしたときは、手放しで喜んでくださいました。ただ、受賞作については褒められませんでした(笑)。知り合って30年、書いた作品を見せ続けてきましたが、一度も褒められたことはないです。千葉さんは『作品の良し悪しは自分で考えること』と捉えていらっしゃるんだと思います。だから小説を書いているときはいつも脳内千葉雅也に一言一句を見られていて、それが品質の担保に繋がっています」

 そんなに誰かを真っすぐに信奉できるって、すごい。それはもはや池谷さんの才能だ。でも、あまりにも心酔しすぎて自分が侵食されることはないのだろうか。

「今回、嬉しかったのが千葉さんに『僕とはちがう物書きの誕生だね』と言ってもらえたこと。未熟で読めないものとしてではなく、読み物としたうえで批評をもらえた。考えてみれば、千葉さんの教えに100%沿って書いているのに同じものにはならないってのは面白い話ですよね。どんなに他人の影響を受けたって、〈私〉として生きて、〈私〉として書いている限り、必ずその人独自のものになるから、そこはみなさんも信じていいと思います」

 念願の最終選考に残り、受賞の知らせを待っていた選考会の日――。
「リビングのエアコンが壊れて、うちの2匹の猫といっしょに1階の作業場に避難していたんです。いくら待っても電話は鳴らず、鳴ったと思ったら宅配業者からで、もう来ないかなと立ち上がろうとしたとき、白いほうの猫が僕の腕に手をのせて甘えてきました。ああ、じゃあ君が飽きるまではここにいよう、と思ったその瞬間に受賞を知らせる電話が鳴ったんです。もちろん、猫がそうしなくても受賞という結果は変わらなかったでしょう。でも、ここで僕が感謝するのは、猫のおかげで『どうせ俺なんて』って思わずに済んだことなんです。高校の時、千葉雅也という圧倒的な才能に出会って、自分はスターじゃない、天才じゃないってことをかなり早い段階から知っていました。でも、書きたいものが次々現れ、書くほかなかった。その自分を貶めずに済んだんです」

「受賞の言葉」にも登場する先にこの家に来た白いほうの猫とともに。あとから来た赤いほうの猫はこの日姿を見せなかった。=撮影・武藤奈緒美

 池谷さんにとって「小説家になる」とは。
「受賞してもしなくても、次に書きたいものはどうせくる。僕はこれまでも言語芸術家であり、小説家であったと思います。じゃあなんで応募したかというと、ずっと書き続けるために伴走者が欲しかったんです。一緒に次の作品を企ててくれる、自分以外の利害関係者を得ること。それが小説家という肩書きを求めた理由。『池谷の次の作品をうちで書いてほしい』という人が現れ続けるように、これからも僕は小説家を目指すでしょう」

【次回予告】次回は、特別版「小説家になりたい人が、小説を選ぶ人に聞いてみた。」。数々の選考委員を務め、第6回「深大寺恋物語大賞」では清を審査員特別賞に選んだ井上荒野さんに、「小説を選ぶとは」についてお話しいただく予定です。