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「タイ飯、沼。」書評 洗練の味拒否する底なしの魅力

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2024年02月17日
タイ飯、沼。 著者:髙田胤臣 出版社:晶文社 ジャンル:食・料理

ISBN: 9784794973801
発売⽇: 2023/11/28
サイズ: 19cm/723p

「タイ飯、沼。」 [著]髙田胤臣

 30年以上前。初めてタイ料理を食べた時の衝撃が忘れられない。けれども時が経ち、あの頃の感動にはなかなか巡り合えない。日本人の味覚になじむよう洗練され、ガパオライスやパッタイなど、絞り込まれた定番ばかりが目立つようになったからだ。別にわるいわけではないけれども、個人的には足を運ぶ機会もすっかり減ってしまった。
 そんなふうに感じていたところに、この本が登場した。全貌(ぜんぼう)が摑(つか)めない分厚さ、意味不明な響きが飛び交うこの感じ。図版は載っているけれども、おいしそうな写真、おしゃれな写真はいっさいなし。どちらかと言えば現場写真に近い。まさに底なしの「沼」模様だ。思えばわたしが感動したのも「タイ料理」ではなかった。あれは「タイ飯」だったのだ。
 日本で飯と言えば米だけれども、そもそもタイ飯は米からして違う。そんなタイ米に日本人が否(いや)が応でも出会うことになったのは1993年のこと。フィリピンのピナトゥボ火山が2年前に起こした大噴火の影響で日本列島が例を見ない冷夏となり、米の大不作で急遽(きゅうきょ)、タイ米を輸入したのだ。モチモチした日本の米に慣れた人には不評だったけれども、それで初めてタイ米ならぬ「タイ飯」の魅力を知った人も多いことだろう。思えばあれも一種のカルチャーショックだった。本書はそんな原点にもしっかり触れている。
 タイ飯の魅力ばかり書いてあるわけでないのもいい。現地で食べることを最大限に推奨しているだけあって、屋台などで食する際の衛生上の見極めについても触れている。なにせ相手は「沼」なのだ。徹底的に管理されたビーチやプールとはわけが違う。危なくないはずがない。沼といえば、著者はタイ飯でしばしば香りづけのための食べにくい食材も一緒くたに浮いていることに文句を言っている。同感だ。しかしそれも含めてガツンと「タイ飯、沼。」なのだ。
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たかだ・たねおみ 1977年生まれ、ライター。20年以上タイに在住。著書に『だからタイはおもしろい』など。